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2024年6月16日日曜日

昭和16年 東京芝浦電気 特許メダル



東京芝浦電気による陶製のメダルになります。
明治神宮のメダルが。和15年頃からメダルが陶製が出てきますので、このメダルも時節に合わせて作られたのでしょう。

特許への賞牌として作られたこのメダルの裏には「特許 第一四〇五一三号 辻重己 昭和十六年六月」とあります。
この特許について調べると、純度の低いアルミニウムの表面に酸化被膜を施し、反射鏡を作るもののようです。昭和13年に出願され15年に特許をとってます。

表には、神話の女神が描かれてます。
桃を手に取る姿から意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)ではないかと思います。
永遠の命、邪気を払うその力への想いをメダルに込めたのでしょう。
作者銘はありませんが、美しくデザインされた女神像です。
立った女神の垂直性と、水平に伸びる手、円形のメダルとそれに沿った桃の木。
彫刻というよりデザイン力の高い作品です。
いいですよね~

2024年4月14日日曜日

朝日新聞社MOTO作 メダル


戦前に作成された朝日新聞社の記念メダルになります。
鹿にまたがる天使、天使の腕には松明。
鹿の周りには、花(梅?)が咲き乱れています。

作者はメダル内に「MOTO」とあります。
この銘に該当する彫刻家と言えば、泉二勝磨(もとじ かつま)ですが、どうでしょう?

今まで紹介しました朝日新聞社のメダルを制作した彫刻家といえば、北村西望、日名子実三、陽咸二らと特にこだわってこの作家というものでもないようです。
ただ、大阪朝日と東京朝日で作家の選別に若干と違いはある感じを受けます。
しかし、泉二勝磨作のメダルはコレクションしているメダルの中には無いのですよね。

泉二勝磨については、絵葉書で紹介したことがあります。
泉二勝磨 作「「東郷大将バルチック艦隊を睨む」 絵葉書
この若くして亡くなった作家のメダルであれば、とても貴重でありがたいのですが、いかんせん情報が少ない。
あるとしたら、代々木公園内にある、泉二勝磨が彫刻した「日本航空発始之地記念碑」が朝日新聞社によるもので、ここで朝日新聞との繋がりがあることがわかる程度でしょうか。

次にメダルの図からわかることを探ってみます。
先に書いたように、咲く梅の中で鹿にまたがる天使図です。
鹿に天使というモチーフで思い当たる物語はないんですよね。
あるとしたら、春日大社の建御雷之男神(タケミカヅチ)でしょうか。
でも、これは天使のような子供の姿ではありませんね。

作風としては、レリーフではありますが、立体感は薄いです。
切絵に厚みがあるかんじ。
もし、このメダルが泉二勝磨の作だとしたら、師であるジャン・デュナン(Jean Dunand)の影響かもしれませんね。
彼は漆芸家でこういった薄いレリーフを作ってますから。

あとは材質でしょうか。
このメダルは、アルミ製です。
アルミでできたメダルは 1942年(昭和17)とその翌年の明治神宮国民練成大会に用いられています。
明治神宮競技大会のメダル
1941(昭和16)年に公布された金属類回収令のあたりの年に、こういった素材のメダルが作られています。
このメダルもそのあたりの作なのでしょう。
泉二勝磨が亡くなったのは昭和19年ですから、時代的は合ってるのかも……

どれも決定打に欠けますね。
もう少し、調べてみます。

2024年1月6日土曜日

吉田久継 作 「日本武尊」メダル

 


吉田久継は、1888(明治21)年東京市本郷区に生まれ。
若く10代で高橋楽水に蠟型技術、馬場正寿に彫金、白井雨山彫塑研究所でに彫塑を学びます。
東京美術学校彫刻選科卒、その後に太平洋画会研究所、さらに本郷洋画研究所で岡田三郎助にデッサンを師事。
第7回帝展から審査員となり、東台彫塑会、赤洵社を組織、第一美術協会結成に参加、東土会結成に洋風版画会結成、三部会結成と忙しい作家だったようです。
ハニベ会」にも参加してますしね。
1929(昭和4)年日本には、日本美術学校彫刻部教授となります。
戦後は官展を中心に発表と……
南海難波駅北口に建つ「風朗」は、吉田久継の1953(昭和28)年の作品ですね。

さて、このメダルですが、裏面には日本武尊についての説明だけがあり、制作年代や何のためのメダルなのかの記述がありません。
こういう場合は大体戦後のものって印象なのですが、どうなんでしょう?
モチーフが日本武尊であるから戦意高揚目的で作られたメダルの可能性もありますが。

このメダルに刻まれた日本武尊ですが、日名子や畑正吉の作品に比べ、絵画的ですね。
全体の立体感より細部を細かく描いています。
画家岡田三郎助に師事した作家故でしょうか。


この吉田久継という作家、若きエリート作家だったんですよ。
30才で帝展に入選、その3年後には無審査になってますから。
けど、現在この作家の作品を思い浮かべることのできる人ってどれくらいいるのでしょう?
まとまった展覧会も行われていないのではないでしょうか?
何故でしょう?
地元が東京っていうのも、故郷なくて忘れられたのか。
それとも裸婦像の飽和の中で埋もれられたのか。
けど、吉田久継ほどに裸婦の群像に向き合った作家って少ないと思うのですけどね。

2023年11月23日木曜日

日名子実三 作 カメラを持つ女性像

 今日は久しぶりに日名子実三のレリーフです。

このレリーフには、賞の名が入ったプレートが取り付けてあったような跡がありますが、プレート自体無く、どんな賞のための楯だったかはわかりません。

描かれているのは、カメラを持つ裸婦ですね。
彼がよくモチーフとして扱う日照も描かれています。
裸婦が手に持つのは、蛇腹カメラですね。
私の知識では、このカメラの型式はわかりません。なんでしょうか?

この裸婦ですが、日名子には珍しい、面長の女性です。
彼のお気に入りのモガな女性モデルとは異なる気がします。
1932(昭和7)年作の「第3回国際広告写真展覧会」では、この女性モデルで制作されています。
手に持つカメラは、同型に思えます。
どうでしょうか?
髪型が違うだけ?

1931(昭和6)年大阪朝日新聞主催「全関西写真連盟 撮影競技大会」メダルは、今回のレリーフのモデルと似ています。

こちらのモデルにお願いしたのでしょうか?
でも、この人の体は、本職のバレリーナなのか、引き締まってるし……
さて??

2023年11月19日日曜日

R.COCHET 作 池田大作 メダル


R.COCHETとは、フランスのメダル作家、彫刻家のロベール・コシェ(Robert Cochet) (1903 - 1988) と思われます。
コシェは、1954 年から 1958 年にかけてフランスのモネ・ド・パリ造幣局とボーモン・ル・ロジェ造幣局で鋳造されたコイン等々、多くのメダル、コインののデザインをしています。
コシェは、1954 年にマドリードで開催された万国博覧会で賞状とメダルを授与されました。彼はサロン・デ・アルティスト・フランセの会員に選ばれ、彼のメダルは大英博物館、クライスラー博物館、ハーバード美術館のコレクションで見ることができます。
近現代メダル会の巨匠なんですね。

そんな彼が手掛けた、メダルの一つがこの 「池田大作」をモデルとした創価学会のメダルです。
ベール・コシェは、フランスだけでなく、ラオス、ベトナム、サルジャ、イエメン、コモロ、中央アフリカ諸国、西アフリカ、ボリビア、ギリシャなどで彼の署名入りコインが制作されています。その中で彼が手掛けた日本人像は、どのくらいあるのでしょう?

裏には「TAISEKIJI」と富士をバックにした大石寺の姿が彫られています。
つまり、このメダルは、日蓮正宗から創価学会が離れた1991(平成3)年以前のものなのでしょう。
コシェの亡くなった年が1988年であることからも、彼の晩年の作であろうと想像します。

そんな池田大作氏が15日に亡くなりました。
まさに巨星墜つ。
現在、昭和の新興宗教の信徒数が右肩下がりとなっています。
そんな中、創価学会は池田大作氏を日蓮上人と並ぶカリスマとして神格化していくのか。
または、ジャニーズや宝塚のように昭和のカリスマが解体されていく昨今、次の信仰を模索していくのか……
興味あるところです。

2023年10月16日月曜日

HOPITAUX JAPONAIS EN FRANCE メダル

今日の謎メダルです!



表には、日本赤十字社。ベッドに横たわる患者と、日本人医師と看護師が描かれています。
彫刻家の銘があり、「P. LENOIR」と記されています。
裏には、フランスと日本の国旗、「1914」、「1918」、「HOPITAUX JAPONAIS EN FRANCE 」とあります。
また横面には、「1970」「bronze」「France」と小さく刻印されてます。

P. LENOIRは、フランスの彫刻家でメダル作家であるピエール・チャールズ・ルノワール(pierre charles lenoir)だと思われます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Charles_Lenoir
彼は1879年パリ生まれ、1953年に亡くなっています。
このメダルでは、彼によって日本人が描かれているのですね~
ちょっと変ですけど。

1914年に第1次世界大戦が始まります。これに日本も参戦したため、日本赤十字社はロシア、フランス、英国に病院船と救護班を派遣し、傷病者の治療に当たります。
このメダルは、その功績を称えるものだったのでしょう。

横面の「1970」は再作成された年ですね。
日本とフランスの深い繋がりを確認するようなイベントに用いられたのかもしれません。
(万博?)

今、まさにいくつかの国で戦争が行われています。
その地で、こうした医療者たちが必死で働かれています。
頭が下がる思いです。
しかし、そんな彼らへの「顕彰」そのものが無くなる時が来ることを望みます。

2023年7月17日月曜日

千葉県中等学校体育協会 体育大会参加記念 メダル





1933(昭和8)年と1937(昭和12)年の千葉県中等学校体育協会主催「体育大会参加記念」メダルです。
こちらも銘の無いメダルですが、モダンなデザインが秀逸です。
国内の作家のものなのか、海外のデザインの流用なのかもわかりません。
ただ、国内の市井のメダル業者の作ではなさそうです。

8年のメダルは、前衛的です。
もし、これがメダルでなく、作品としての彫刻であれば、作家の名は彫刻史に残されていたかもしれません。

12年のメダルは、アールヌーボーですね。
とても美しいメダルですが、こんなの当時の若い男子が手に取ったら鼻血でそう!

2023年7月10日月曜日

畑正吉 作「東宮殿下御成婚記念」レリーフ

現人神であった昭和初期の昭和天皇の像というのは、実は少ないのです。
ただし、皇太子時代の像というのは、いくつかあります。
このレリーフは、1924(大正13)年に良子様との御成婚を記念して制作されたレリーフです。
造幣局から、このモチーフでメダルも制作されています。

作家は、彫刻家畑正吉です。
周りにあしらった菊の美しい彫り姿は、まさに畑正吉の作だと言えます。
菊ではありますが、海外の王室の紋章に用いられるバラやアザミの様に扱われています。
正に和洋折衷。
当時の殿下らしい、お姿だと思います。

また畑正吉は、現上皇様のご結婚記念メダルも制作してますので、2代のお姿を描かれた彫刻家なんですね。

2023年6月12日月曜日

日名子実三 作 昭和2年 汎太平洋水上競技大会・国際水上競技大会 メダル



久しぶりに日名子実三のメダルです!
昭和2年に、報知新聞社が米濠の選手をまねき、東京で汎太平洋水上競技大会を、大阪で国際水上競技大会を同時期に開催します。

メダルの表面にはプールから飛び出た掌の上に立つ選手、裏面にはトビウオです。
日名子は、水上競技のメダルにトビウオのモチーフを多く使います。
表のこのデザインは、なかなかシュールで良いですね!
本郷新の「援護の子」のように、指に抱かれるモチーフって、当時でも無いわけではないですが、こうプールからニョッキっと出してるってのは見たことがないですね。

マジンガーかまたはターミネーター2のラストとか、岡本太郎の手の椅子?
釈迦の掌??
こういう遊びを日名子は時々やりますね。
このシュールさを支えているのが、腕を広げた選手のシンメトリーを外して描いたリアルさです。
この日名子の力量ゆえの写実が、笑えるデザインに重みを与えているのだと思います。

2023年6月5日月曜日

大正6年 畑正吉 作「第三回極東選手権競技大会」メダル 





極東選手権競技大会は、米領フィリピン、中華民国、当時の日本を主な参加国として、1934(昭和9)年まで10回開催された競技大会です。
こうした国々が欧米に対抗するための文化政策として、このような競技会を必要とします。
当時のフィリピンは、アメリカの影響下にあり、スポーツ先進国でした。
後進国であった他国は、その技術を得るためという目的もあったのでしょう。

行われた競技は、陸上に競泳、野球、テニス、サッカー、バスケットボール、バレーボール、そして自転車やボクシングと今でも人気あるものです。
こうした戦前からの蓄積が、今の日本及びアジアのスポーツの礎となっているのですね。

1917(大正6)年に開催された第3回大会は、初の日本開催であり、何より初の国際的スポーツ競技大会でした。
会場は東京市芝区芝浦の埋め立て地。
日本スポーツ界の意気込みは凄まじかったでしょうね。
この大会で、日本は総合優勝を果たします。

そんな理由もあり、メダルの制作も第一人者である畑正吉に依頼されたのでしょう。
薄彫りですが、とても美しいメダルです。
ペアになっており、一つは鳳凰を抱え、翼の生えた観音(?)像。
片方は、その観音に見守られた5人の走者の姿です。
メダルに観音像が描かれるのは、西洋のメダルに描かれた女神像に担ったものではないかとご指摘頂いたことがあります。
畑正吉は、そういった伝統と日本の信仰とを重ね、「翼のある観音」を生みだしたのかもしれません。
その結果、仏教でもキリスト教でも、儒教でもない、どこにも属さないアジアの女神像を描くことを可能としました。
これも一つの「近代仏教臭彫刻」と言えるのかもしれません。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
ただ、この「鳳凰を抱えた」というイメージがどこからきたのか、私にはわかりません。
何でしょうか?

2023年5月29日月曜日

戦前メダルのカタログ

内外徽章製作所 No.40

内外徽章製作所 No.42

内外徽章製作所 No.44

内外徽章製作所 No.47

日本帝国徽章商会

サヌキ商会徽章製作所

アサヒ徽章製作所 No.85

市井のメダル制作会社によって配布されたカタログになります。
昭和に入り、メダルが一般化し需要も増えます。
制作会社も増えていく中で、差別化やクイックな対応、地方からのアクセスし易さ等の為にこのようなカタログが必要とされ、各社毎に発行されました。

中はこんな感じで、メダル原型の一覧が載っており、ここから選ぶことができます。

『御注文の栞』には、
『原型の彫刻料は四五圓及至七八圓位、』『裏面の原型彫刻料は......大凡三圓位より五六圓位の處で出来ます、特殊の彫刻は其の難易に依て実費を申受けます。』
『カタログの中から御擇撰御注文の場合は 掲載のもの全部何れも表面の原型彫刻料を要しませんご利用ください。』
等々と書かれています。

このブログでは、彫刻家によるメダルをメインに紹介していますが、こうした市井のメダルや造幣局製の公のメダル等もあります。
こうしたメダルに縦横に人々が関わり、立体的に戦前のメダル界が成っているのですね。

2023年1月29日日曜日

皇紀弐千六百年 長谷川塊記作 菅公銅像建設記念メダル


長谷川塊記は、1898(明治31)年鳥取生まれ、朝倉文夫に師事し、東京美術学校彫塑別科卒。官展の他、東台彫塑展や朝倉塾展、塊人社展に作品を出しています。

このメダルは、皇紀弐千六百年、1938(昭和13)年に埼玉県東吾野小学校に建立された、長谷川塊記作菅原道真公銅像の記念品と思われます。
菅原道真公の銅像は現在も東吾野公民館の廟の中に建ってます。

メダルの背面に「塊記」の銘があり、このメダルも長谷川塊記の作品とわかります。
このメダルを見て思うのは、かなり簡易な造形なんですね。
たしかに菅原道真公の銅像もそれほど細部に拘った作にはみえません。
ただ、神の姿を描くということで、ある程度形状に自制があったのかもしれません。
父親が仏師であったことも影響しているのかも。

彼の作品は鳥取県立博物館で観ることができます。
これら作品からも、長谷川塊記は師の朝倉文夫よりも身体を理想的な姿に描くスタイルだったと言えそうです。
それもそういった仏師の出であった事、仏像や神像という身体を理想化した造形の影響があったのでしょう。
戦後の人物彫刻は、人体のリアリティーよりも理想化に進みます。
長谷川塊記はその間の作家であり、そういった理想化に影響を与えたのが、日本の仏像や神像であったと言えるのかも。

2023年1月9日月曜日

今月でコレクション展 終了!

新潟県美術館での「コレクション展Ⅲ 新収蔵品から/彫刻の回廊」が今月で終了。
私のコレクション展も一旦終了です。

ご鑑賞頂きました、皆さま。
ありがとうございました。
次にお見せできる機会についてはか未定です。
それまでに、さらに面白い物を探してコレクションしますね。

新潟市美術館では、同時に「リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと」も今月いっぱい。



この展覧会を観賞しながら、リアル(写実)とは何かについて考えました。
リアル(写実)とは、私にとって「他者」ではないかと思います。
他者論を展開出るほど私の頭は良くないですが、それをビジュアルとして表現すれば、この世界のリアル(写実)ではないかと。
ただし、この展覧会を観て、彫刻と言う他者そのものとしてを世界に立たせ、対峙させるモノと、絵画のようにイメージとして鑑賞者の内側に入り込むモノとの差を感じました。
彫刻と絵画のリアル(写実)の文脈の違いは大きく、またそれがそれぞれの魅力でもあるわけです。
ですので、この展示会場では絵画と彫刻が行ったり来たりと展示され、ちょっと混乱。
また、近代の高橋由一や松本喜三郎、安本亀八、高村光雲と現代の作家とをつなげた結果、その間の作家がごっそり消えてしまっていたのは若干ショック。
まるで、その間の世界のリアル(写実)が無かったかのよう。
できることならば、70~80年代のコンセプチュアルやニューペイント的なモード全盛期に、愚直にリアル(写実)をやって消えていった作家たちを探し出して展示し、歴史化して欲しかったなぁ~

2022年11月28日月曜日

昭和10年 全鮮工業者大会記念 釜山大橋(影島大橋)文鎮





昭和10年11月17~18に於金山(?)にて行われた全鮮工業者大会記念の記念品です。
モチーフは前年に完成した釜山大橋(影島大橋)と思われます。
釜山大橋は船を通すために跳ね上がる当時の朝鮮唯一の跳開橋であり、「釜山名物」と称されたそうです。
当時の大事業だったのでしょう。そのために、この橋をモチーフにしたと考えられます。
戦後は老朽化の為、橋の撤去も考えられますが、2006年に釜山広域市指定文化財第56号に指定され、2013年に復元工事を終えています。
大切にされているのですね。

建築物をモチーフとしたこうした記念品は、その目的が建築物の建立やオープンの記念であればよくあるものです。
ですが、建築のような人工物を模したものは、モデルであって彫刻とはみなされません。
例えば、法隆寺やサグラダ・ファミリアを絵で描けば作品とみなされますが、そのままミニサイズの彫刻にしても作品ではないのですよね。
そういうバイアスがあるわけです。
ある意味、二次創作とみなすからでしょうか。
ジェフ・クーンズのバルーンの作品みたいにアイロニーを被せれば作品になるのでしょうが。
そうは言っても、二次創作であっても、それを造った作家がある以上、彫刻ではないと切り捨てるのはもったいないと思うのです。
このブログではそういった作品も少しづつ紹介できればと思っています。

2022年6月5日日曜日

北村西望 作 朝日新聞社健康児童賞牌


昭和5年の端午の節句、朝日新聞社主催の「健康児童賞」のレリーフです。
サイン等はありません。ただ翌年も同じ顕彰が行われ、そのメダルを北村西望が制作しています。
こちらが昭和6年のメダルです。
どちらも「桃太郎」をモチーフにしています。
作品の作風からして、昭和5年の賞牌も北村西望によるものと思われます。
面白いのは、この昭和5年の賞牌は鏡面になっているのですね。
凸凹もおなじく逆転しています。
メダルの制作過程で、石膏原型から電気鋳造で凹型をつくりますが、それとは素材が異なる気がします。
なんなのでしょう?
とりあえず、画像操作で反転してみました。


これで文字が読めますね。
更に、諧調を反転すれば、原型の姿が拝めます。

こんな感じだったのでしょうね。

それにしても「桃太郎」というのは、なんて北村西望に合うのでしょう。
勝手なイメージなのですが、どちらも「邪気の無い正義感」を感じるのですよ。
皆さんはどうですか?

さて、最後に戦前の「桃太郎」と現代の「桃太郎」の映像を紹介します。
端午の節句とは元服、つまり成人を祝うお祭りでした。
そのイメージに使われる「桃太郎」とは、子供の姿でありながら、あるべき「成人」像、つまり大人の見本であったはずです。
現代の私たちは「桃太郎」によって、どんな大人像を子供に与えようとしているのでしょう?








2022年4月26日火曜日

大正14年3月1日「造幣局事業一覧」冊子

 





明治4年に創業した造形局は、硬貨以外に、徽章や賞牌なども制作します。
そこでは畑正吉等の彫刻家が関わり、原型の制作を行いました。

この冊子は、そういった造幣局の仕事を広く知らしめるために作られたものだと思われます。
大正12年度の収入収支、作業高、仕事の手順、更には造幣局の福利厚生まで示されてます。

その中でメダルに関することでは、まず作業高(大正12年度)。
「記章及賞牌類ノ製造」―129,784円

そして、『「メダル」製造ノ順序』として、
「図案」―「塑像」―「石膏型」―「金属板」―
「縮彫機」―「手入」―「焼硬」―「焼戻」―
「研磨」―「圧縮機」―「焼鈍」―「検査」―
「着色」―「仕上」―「製品」

彫刻家が関わるのは「図案」―「塑像」―「石膏型」くらいでしょうか。
その後の工程も長く、一つのメダルにも多くの職人の手によって製品化されるのですね。

面白いと思ったのが、福利厚生「従業員二対スル施設」で住宅や診療、組合なんかの中に、「教育」があり、義務教育の補修を行う「普通科」と「豫科」そして、機械や化学を教える「専修科」の中に「彫刻部」があることです。
ここでは、貨幣やメダル等の原型を制作するための技術を学んでいたのだと思います。
教師は誰だったのでしょう?
畑正吉も教えていたのでしょうか?
そしてそれは、どんなカリキュラムだったのか。

2022年4月17日日曜日

社会大衆党 第五回大会記念 メダル


社会大衆党とは、1932年に全国労農大衆党と社会民衆党が合同して結成された無産政党です。
安部磯雄が委員長,麻生久が書記長の下、「資本主義の打破」「無産階級の解放」などを掲げ活動しますが、次第に軍に接近、日中戦争が起ると「聖戦協力」を唱え、翼賛体制へと邁進していきます。
このメダルは、そんな社会大衆党の第五回大会を記念したメダルです。

旗と星と鎖とマッスルな労働者。
ザ・プロレタリアデザインという感じですね!
大好きです。
労働者のモチーフに鎌を持った農民が描かれているのが日本的で良いですね。
サインの無いのもそれらしい。
社会大衆党と言う第三極にまでなった政党で、このような微妙に洗練されていないデザインなのも好感度高いです。

とはいえ、同時期に政党政治の外側にあった蔵原惟人らのナップやらコップやらは、弾圧されていきます。
それら弾圧された側の美術家たちは、このメダルのデザインをどう見たのでしょう?