山崎朝雲は、先の日本彫刻会の会長であった岡倉天心の影響を強く受け、日本木彫の近代化を目指します。とはいえ、岡倉天心の唱えた「Asia is one.」は日本を超えてアジア全体を視野に入れたものでした。天心の理想の中では、「日本」にこだわっていてたわけではありません。
しかし、その天心の「アジア主義」は、戦時下に於いて「日本(皇室)を中心としたアジア」に変わります。
その二つの「アジア主義」を橋渡しする思想を持ち、当時の日本に大きな影響を持っていたのが頭山翁、つまり右翼の巨頭「頭山満」と玄洋社でした。
しかし、前述のとタイムの記者ロバート・シャーロッドが1945年に出版した「On to Westward: The Battles of Saipan and Iwo Jima」では、『サイパンの在留邦人女性がアメリカ軍部隊に向け小銃を乱射し、最後に足を撃ち抜かれ野戦病院に収容された話が掲載されている』そうです。 Wiki
また、サイパンの戦いで自決を試み重傷を負うもアメリカ軍に救助された従軍看護婦の菅野静子が“サイパンのジャンヌ・ダルク”と1944年7月25日付ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンで報道されたのだそうだ。
ただし、これらの情報を当時の日本人が知りえたのかはわかりません。
ただ、草間秀雄のレリーフを作品としてみると、顔に比べて体が平らで貧弱に感じるところが気になりますね。
しかし、『H.KUSAMA DIRECTOR OF THE IMPERIAL MINT』と全てを英文字で表し、サインまでもそうであることから、「欧米に肩を並べる我が国の造幣局」といった畑の気概を感じます。
当時に於いて、洒落たデザインであったろうと想像できます。
草間秀雄もそういった人物だったのかもしれません。