先日、NHKのETV特集「人知れず 表現し続ける者たち」を見ました。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259554/
東京都はトーキョーワンダーサイト渋谷を再整備してアール・ブリュット美術館にするみたいですね。
2020年のパラリンピックまで、日本のアールブリュットを御輿とするイベントは続きそうです。
そんなアール・ブリュット(生の美術)について、我々はそれをどう見ているのか検証してみたいと思います。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259554/
東京都はトーキョーワンダーサイト渋谷を再整備してアール・ブリュット美術館にするみたいですね。
2020年のパラリンピックまで、日本のアールブリュットを御輿とするイベントは続きそうです。
そんなアール・ブリュット(生の美術)について、我々はそれをどう見ているのか検証してみたいと思います。
アール・ブリュットは、精神的な傷害を持つ人を対象とはしていません。しかし、私たちが鑑賞の対象として見る時、それを意識していることは確かだと言えます。それを含め以下のような図を作成しました。
この中心には、作品そのものを配置します。作品自体は価値判断をもちません。ニュートラルなものです。
それを他者が鑑賞して初めて「価値」が生まれます。その時、どのような「価値」のベクトルが働くのか...それを図で示します。
この図では作品を「障がい者」のものと捉えるのか、それとも「狂人」のものと捉えるのか。そしてその作品が「健康」であるか、そうでないのかを軸とし、中心から、端に向うほどに「美」としての意識が高まることを示します。
まずは、アール・ブリュットの歴史から。
アール・ブリュットが世に問われるきっかけとなったハンス・プリンツホルン著「精神病患者の創造」が1922年に出版され、欧州の芸術家、シュルレアリズムの作家やアール・ブリュットに深く関わっていくデビュフェたちに強く影響を与えます。
シュルレアリズムの作家であるマックス・エルンストは自伝においてこう述べます。
『ある建物に、驚くべき彫刻と絵画のコレクションがあった。それは、このおぞましい建物に監禁されている患者が作ったものだった。特に注意を引かれたのは、彼がパンをこねて作った人物像だった。』『それらの作品に深い感銘を受けた。そこに天才的なひらめきのようなものを感じたものだった。そして、狂気と境界線上のあいまいで危険な探求を進めることになった。』
彼らは狂気を、この世界を超える、またはその境界上にあるものとして評価し、障がいを持つ者の生み出す作品を、その理解の上で「美」とします。
しかし現在、私たちは障がい者の美術を「狂人」のものとは捉えません。
その理由は、「狂人」が「正常」との対義語であり、差別であるとの認識があるからです。
私たちは「狂人」と「正常」は地続きであり、ヒューマニズム、人権等の視点からそれを「いけないこと」と判断します。
しかし、かつてシュルレアリズムの作家たちは、「狂人」の「不健康」な作品を「美」としました。
それは、図での「C」の位置で示されます。
これは障がい者を「正常」と区別する視線です。
先に書きましたように、その視線は現在では否定されます。
もとい、当時においても批判はありました。
現在においては、こうした批判の下、「C」における美意識そのものを捨て去ることになったと言えます。
たしかに、今でも背徳美、退廃美は存在します。ただ、それを障がい者に向けることを行わなくなったということです。
例えば、最近兵庫県立美術館で行われた『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』展。
この精神病院に収納されたという作家の作品の展示に、「狂人だから美しい」という言葉はありません。
サイトには『主人公の少年ドゥフィ(アドルフの愛称)が、家族とともに世界をめぐる旅行記である。ここではヴェルフリの悲惨な子供時代がわくわくするような物語へと置き換えられている。』だの
『ヴェルフリ自身は「肖像画」と呼んだこれらのドローイングを色鉛筆やタバコと交換し、さらに精神病院の職員や彼の創作を称賛しに訪れる人々に売っていた。』だのポジティブな言葉が並びます。
現在において、狂人の美術は、上記の図での「B」に配置されます。
つまり、「健康(ポジティブ)」な物であると。
この「B」範囲が美術の領域と言えます。
ここには他に出口王仁三郎の陶芸や書など、宗教家の作品。または決して「障がい者」側には近寄らない草間彌生なども入ります。
さて、次に「A」の領域。
これは、現在でもある、所謂「障がい者のアート」と言われているモノです。
ここには「福祉」という価値観が関わってきます。
つまり、教育による向上や、社会的援助といった「目的」を持つわけです。
それは、美以外の「目的」を否定する美術の領域とは相反します。
この領域におけるアール・ブリュットは「福祉」という価値観を背負うことで、結果矛盾を抱えます。
そのため、戦前において山下清の作品が、当時の芸術家たちの一部から否定されたわけです。
「A」と「B」の領域には深い溝が刻まれています。
私見ですが、芸術家というものは道化だと思っています。
自分の表現という排泄物を世に出し、嘲笑され、奇異の目で見られるのが彼らです。
道化故に、王様(美)の近くでおどけ回る事ができ、王様(美)という権力をかさに言いたいことを言える者。
障がい者は、こういったことに自覚を持て無い人もあるでしょう。
そして、福祉に関わるものは「嘲笑され、奇異の目で見られる」ことを許しません。
山下清が戦後に芸人となったことを非難する人達のように、そこには福祉だけでなく、美術の側からも障がい者の美術がただ「美」による価値で判断されることを許さないのです。
「A」の領域にあるものは、美でありながら美を否定される存在なのです。
最後に「D」の領域、「障がい者」でありながら「不健康」であることを価値とすること。
実は、この領域の作品はを私たちは見ることができません。
また、そういった作品があっても、それを口に出すことはできません。
それは「福祉」としての価値を否定しなければならないからです。
つまり、「障害者」の「D」領域の作品は、「福祉」の手で「A」の価値へと引き上げられているのではないでしょうか。
見えていても、見えていないとふるまうことを強制される作品、それが「D」の領域と言えるでしょう。
このように、私たちは一つの作品を、その立場、意識、美意識によって、それぞれに、またはその視点の領域を越え往き来しながら鑑賞します。
さらに、その意識世界には、他者(「福祉」という価値)の介入がなされます。
その結果私たちは決して「狂人故に美しい」「不健康な障がい者は面白い」とは言えないのですね。
価値の多様性は制限されます。
そんな世界が、アール・ブリュットの美的世界であるのですね。
追記
上記のモデルは、児童画にもあてはめることができます。
その時、「福祉」に変わるものは「教育」となります。
私たちは児童画を見て「不健康な児童は面白い」とは言えない訳です。