2024年4月29日月曜日

乃木将軍銅像と大日本国防婦人会



割烹着姿に白襷、1932年に結成された「大日本国防婦人会」の写真です。
大阪で生まれたこの会ですが、全国に展開します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%98%B2%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E4%BC%9A

真ん中に立つ像は、その姿から乃木希典の銅像と思われます。
当時存在した乃木将軍の銅像は、山口県の長谷川栄作による像、香川県の田中雄一による像、愛知県西尾の像、そして江の島の片瀬海岸の像。
この像の姿に似ているのは愛知県西尾の像なのですが、戦時中にコンクリートに変えられ、現在は西尾市の熊野神社に建っています。
https://ameblo.jp/pont-neuf0603/entry-12470632973.html
ただ、この姿の乃木将軍像というのは、二宮金次郎像と並んで量産され全国に建てられていますから、本当に西尾の像なのか。

どちらにせよ、乃木将軍の像の前に並ぶ大日本国防婦人会のご婦人たちというこの写真は、当時の世相を描いてますね。

2024年4月27日土曜日

牧雅雄 画「開運だるま」




彫刻家 牧雅雄によ目達磨図です。
彼の画はこれ二幅めになります。
1幅めを買ったのが2015年ですから、もう10年経つのですね~
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2015/04/blog-post.html
彼の作品では、軍鶏の木彫を所持しています。
なのでこれで3点目、私が死ぬまでにあとどれだけ集めれるかな?

牧雅雄をコレクションしている理由は、彼が昭和10年に亡くなった作家だからです。
この昭和10年ですが、先の記事にも書いてあるように堀江尚志や藤川勇造、陽咸二、日本美術院では木村五郎、橋本平八が亡くなっています。
ものすごい損失、彼らが戦後まで残っていたら、いったいどんな美術史となったか。
そんな思いを持って、少しづつですが集めているわけです。

同期の木村五郎と橋本平八の作品は、一発で彼らの作品とわかる個性を持っています。
緑色の太陽に薫陶を受けた世代の作品たちなんですよね。
けど、牧雅雄の作品はそう言えるだけの個性を語れない。
ただそれは、まだ研究が進んでないからだとも言えます。
ぜひ、この作家の研究を進めていただきたいものです。

2024年4月14日日曜日

朝日新聞社MOTO作 メダル


戦前に作成された朝日新聞社の記念メダルになります。
鹿にまたがる天使、天使の腕には松明。
鹿の周りには、花(梅?)が咲き乱れています。

作者はメダル内に「MOTO」とあります。
この銘に該当する彫刻家と言えば、泉二勝磨(もとじ かつま)ですが、どうでしょう?

今まで紹介しました朝日新聞社のメダルを制作した彫刻家といえば、北村西望、日名子実三、陽咸二らと特にこだわってこの作家というものでもないようです。
ただ、大阪朝日と東京朝日で作家の選別に若干と違いはある感じを受けます。
しかし、泉二勝磨作のメダルはコレクションしているメダルの中には無いのですよね。

泉二勝磨については、絵葉書で紹介したことがあります。
泉二勝磨 作「「東郷大将バルチック艦隊を睨む」 絵葉書
この若くして亡くなった作家のメダルであれば、とても貴重でありがたいのですが、いかんせん情報が少ない。
あるとしたら、代々木公園内にある、泉二勝磨が彫刻した「日本航空発始之地記念碑」が朝日新聞社によるもので、ここで朝日新聞との繋がりがあることがわかる程度でしょうか。

次にメダルの図からわかることを探ってみます。
先に書いたように、咲く梅の中で鹿にまたがる天使図です。
鹿に天使というモチーフで思い当たる物語はないんですよね。
あるとしたら、春日大社の建御雷之男神(タケミカヅチ)でしょうか。
でも、これは天使のような子供の姿ではありませんね。

作風としては、レリーフではありますが、立体感は薄いです。
切絵に厚みがあるかんじ。
もし、このメダルが泉二勝磨の作だとしたら、師であるジャン・デュナン(Jean Dunand)の影響かもしれませんね。
彼は漆芸家でこういった薄いレリーフを作ってますから。

あとは材質でしょうか。
このメダルは、アルミ製です。
アルミでできたメダルは 1942年(昭和17)とその翌年の明治神宮国民練成大会に用いられています。
明治神宮競技大会のメダル
1941(昭和16)年に公布された金属類回収令のあたりの年に、こういった素材のメダルが作られています。
このメダルもそのあたりの作なのでしょう。
泉二勝磨が亡くなったのは昭和19年ですから、時代的は合ってるのかも……

どれも決定打に欠けますね。
もう少し、調べてみます。