2021年2月20日土曜日

模範学生手工作品集と畑正吉とキティちゃん

魚崎尋常高等小学校の蔵書であった「模範学生手工作品集」です。




明治6年に創立された魚崎尋常高等小学校は、現在の神戸市立魚崎小学校です。
戦時下、昭和13年発行。学校の蔵書になったのもこの年の様で、当時の児童が読んだのでしょう。

この作品集では、海外の学生を含め、8才児から東京美術学校の学生まで幅広く掲載されています。
興味深いのは、東京美術学校師範科学生による「コンクリート製植木鉢」と、コンクリートの研究が東京美術学校で行われている事や、いくつかある灰皿のモダンなデザインですね。

また時局柄、戦車や空母の模型もあります。
ドイツの学生によるプロパガンダポスター「冬季教育事業の爲の行進」は、18歳の少年による作品です。

編集は久保彌一郎、発行元は日本工藝学檜です。
編集の協力者は
・東京高等師範学校 阿部七五三吉
・同上       田原輝夫
・東京工藝学校   畑正吉
・東京美術学校   松田義之
彼らによって作品の選択が行われたと考えられます。

東京高等工藝学校彫刻部学生による「置時計」は畑正吉による指導の影響を強く感じます。


作品の解説には『工藝彫刻は立体工藝品の立体図案であるとの主張から、凡ての無意味な装飾を拝して、意匠を要約した点は今後の手工教育上参考とすべきであると思ふ。』とあり、まさに畑正吉の思想で、彼の記述であると考えられます。
特に『無意味な装飾を拝して、意匠を要約』という、装飾を拝するわけではなく、装飾デザインの抽象化、簡素化する方向性は、同時代のバウハウスなど工業デザインへのアプローチとも異なる彼独自の思想です。

言うなれば、まほうびんにデザイン化された花柄を印刷するよなものなのかもしれません。
それは、現在の無印良品のようなデザイン的に簡素な商品を好む客層とは異なりますね。
ただし、まほうびんの花がキャラクターになるとまた話が変わります。
サンリオの最初の成功は花柄を付けたゴム草履でした。つまり「かわいい」という付加価値をデザインに込めることで、商品価値が高まるわけです。
「かわいい」を込めるために、猫のデザインから『無意味な装飾を拝して、意匠を要約』することであのキティちゃんも生まれました。
つまり、畑正吉の当時のアプローチは、キティちゃんとして結晶した...と言えるのかもしれません。
カタツムリの時計はその一歩なんですね。カタツムリでは女性受けしそうにありませんが。

2021年2月15日月曜日

海野美盛作 明治天皇御尊影

先月11日は、建国記念日でした。紀元節であり神武天皇の即位日ですね。
来週の23日は天皇誕生日となります。
というわけで、何か関係するものをと思い、海野美盛による明治天皇御尊影を紹介します。

明治天皇の姿と言えば、キヨッソーネの肖像画が有名ですが、この横顔は晩年の写真をもとにしたレリーフです。
また、サイズから廉価版考えられますが、それでも明治天皇という神の姿を描いたものとして大切に扱うように窘められています。
『本御尊影は金工界の泰斗東京美術学校教授正六位海野美盛先生苦心の謹作にして吾等国民の一日も忘る可からざる偉大なる神に候
本会は士道の啓発精神修養の資に供せんか爲め一般希望者に限り頒布するものにして畏れ多くも尊厳なる明治天皇陛下の恩英姿を拝し得らるるものなれば充分敬意を以て之に対せらるるは勿論苟も粗略の御取扱無之様御注意なされ度爲念特に一言する如斯に候也
謹作頒布所 明治神宮記念会謹白』



当時の人々の昭和初期に天皇に対する畏怖や敬意とは、明治天皇への想いを受け継ぐ形でなされます。
では、どのように明治天皇への敬意が生れたのかと問われれば、当時の政府の政策や教育の様な、上から与えられた権威への畏怖だけでなく、下から、民衆側から敬意を必要とされたからなのではないでしょうか?
つまり明治維新という価値観がひっくり返ったアノミーから立ち直るために明治天皇というアイドルにすがったのだと思います。
この明治天皇のレリーフは、そういったアイドルのポスターの様なものです。
上記の文章は、画鋲で壁に貼るのに、四隅に穴を開けるなと、運営側から注意されるみたいな話ですね。

そして、アノミーから立ち直るためのアイドルへの信仰の力が、後の戦争をも引き起こしたのだと言えます。

2021年2月8日月曜日

日本美術院第29回展覧会出品 平櫛田中作 鶴裳

平櫛田中が敬愛する岡倉天心の姿を描いた作品です。
1942(昭和17)年の作品で、現在は東京国立近代美術館に所蔵されています。

そして、今月の23日まで、この作品が同館の「男性彫刻」展にて出品され、展示されています。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/malesculpture2020/#section1-1
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/23148

男性彫刻は、特に戦時においては一大ジャンルとして扱われました。
ですから、どのようにち〇こを描いたのかという股間若衆問題や、現在的なジェンダーの在り方を問うことも大切ですが、美術史の中での「男性像」の変化を体系的に知りたい。
東京国立近代美術館様、もっともっとたくさん作品が観たいです!!

ところで、この「 鶴しょう」ですが、台座に岡倉天心の言葉「Asia is One」が書かれています。
この言葉は、歴史的な事実と言うより天心の理想であり、故に戦時に於いてアジア侵略を肯定する言葉として用いられます。

この台座に書かれた文字ですが、どうも現在の作品には無いようです。
私も実際の作品を見ていないので、見間違いなのかも知れませんが、どうなのでしょう?
台座自体は、絵葉書当時と同じように見えますが...

もし、今は無いのだとすれば、いつ消したのか知りたいです。
そして、平櫛田中自身が消したのであれば、どういう意図だったのか?

日名子実三作 構造社第三回展覧会出品「嫉妬」

1929(昭和4)年に行われた構造社第三回展覧会出品作「嫉妬」です。
かなり面白い作品です。
当時の官展なんかではまったく見ることのできない、見世物とか神社仏閣なんかの世界です。
教会にあるガーゴイルに影響を受けたのでしょうか?

というのも、この年の初めに日名子は欧州留学から戻ります。
この作品は留学中の作品なのかもしれません。
日名子は第三回展覧会に、20数点の作品を出品し、その中に「虚栄」「誘惑」という総合試作がありました。
しかし、この「嫉妬」は目録には載っていません。
そこにはどんな意図があったのか。興味ありますね。

2021年2月1日月曜日

清水三重三作 第五回構造社美術展覧会出品 庭園噴泉「女と小鳥」



1931(昭和6)年に行われた第五回構造社美術展覧会の会場風景です。
清水三重三作の庭園噴泉「女と小鳥」は、その会場の中心に設置されていたと思われます。
庭園噴泉の周りに植木が配置し、実際の野外展示のイメージさせています。
「彫刻の実際化」を目指す構造社は、当時の官展での作品郡の様な人物像の乱立ではなく、こういった社会の中で使用される作品をメインで展示がなされたんですね。

現在、清水三重三作の銅像「平和の女神像」が四日市市の市民公園に設置されています。
1952年に開催された「四日市博覧会」の会場正面に設置された石膏のこの像は、後に鋳造され、現在の場所に移設されます。
四日市空襲への祈りが込められたこの像は、平和のハトを模して両手を広げているそうです。
「女と小鳥」で片手に小鳥を乗せた少女が、戦後は自身が鳥になったようですね。

また、展示会場の奥には、6体の武神像の様なものが見えます。



日名子実三の「丘に立つ忠魂碑」と思われるこの像は、「八紘之基柱」に用いられた四神像のエスキースでしょうか?
像の背面には垂直に伸びた壁があります。
壁面の前面に並ぶ複数の像というのは、舟越保武の「長崎26殉教者記念像」を思い出します。
彼ら戦後の彫刻家のモニュメントも、戦前の構造社ら戦前の作家の影響を受けているのでしょう。
ただ、日名子の事ですから、こうした造形のモニュメントも、もしかしたら元ネタあるのかもしれませんが。