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2024年6月23日日曜日

沼田雅一書簡 竹内久一宛




久しぶりに、がんばってヤフオクで落としました!
竹内久一宛の沼田雅一書簡です。
沼田雅一の父、沼田一珍の書簡に一緒に送られたもののようです。
一珍は元福井藩士。維新後大阪に移って商業を試みて失敗、京都に移り美術商池田清助に陶土を分けて貰って拮りものを作って生計をたてていたそう。

竹内久一は、沼田雅一の彫刻の師であり、正木直彦著『回顧七十年』では、一珍の下で働いていた雅一を、通りがかった竹内久一が見つけ、その才を認めて東京に連れてきたそうです。
ただ、京都に来た海野美盛が見つけたという説もあり、もしかしたらこの書簡でその謎が解けるかも……
https://gacma.geidai.ac.jp/archives/100yh_fas02_084.pdf

とは思ったのですが、この私にゃ古文書はよめません!
解読ソフト使ってみましたが、
「高趣難有相続付心百梅面之気段ニ而雨降絵御同事ニ困却之至ニ御座候益御請通被為在奉恐賀毎事病人御案労之段御懇篤不残不参奉待弥之本日唯今部役為替御手形判金三両之名正難有入掌仕候御懇配之御取扱忝奉存類仕五事追々上有之方ニ候……」と何がなにやら。
真ん中の「本日唯今郵便為替御手形即金三両」云々あたりかな、読めるのは。

郵便の日付からみると明治25年。略歴的には沼田雅一が上京した翌年なんですよ。
そのころに、大阪の実家から奈良の竹内久一に向けて手紙を出してるのですよね。
時系列的にどうなってるの?

2024年3月17日日曜日

彫刻家「石井鶴三先生 講演筆記」




石井鶴三は、彫刻家でもあり挿絵画家でもありました。
さらに、山本鼎が始めた自由画運にも関わりを持っていました。
特に長野の教育には深く関わり、上田市には彼の資料室があります。

この資料は、そんな石井鶴三が学校から子供たちの絵の評価を頼まれ、総評を講演した内容を記したものです。
図画委員会編集とあるのみで、いつの時代のどこの学校かはわかりません。
時代を測れそうな箇所は、文章中にある『最初の時の刷物(昭和六年度作品短評後記)』とあることから、1931(昭和6)年以降であることがわかります。
また、評する子供たちが「尋一」から「尋六」、「高一」「高一」であることから、1941(昭和16)年の国民学校令発布前なのでしょう。
つまり、昭和初期の頃の石井鶴三の芸術観、そしてその時代の児童画について知ることのできる資料なんですね。

石井鶴三については、筆まめであった彼のおかげもあって、多くの資料が残されており、文集、書簡集、日記等々がまとめられています。
この講演筆記が、もしかしたらどこかに記されているかもしれませんし、そうではないかもしれません。

その内容ですが、まずは彼の芸術観を語り、その後学年別の総評をしていきます。
そんな彼の「芸術観」をまとめてみます。

まず、「素描(デッサン)は絵画の生命」だと言います。
色彩よりなによりデッサンだと。
その素描の要素は「線の動き即ち動性(ムーブマンMouvement)」そして「量感(ボリューム Volume)即ち量の持っている美感である」と言います。
このあたりは彫刻家の美観そのものですが、これが子供の絵にも必要だと言うのですね。
その素描を用いて「どこまでも感情の上に立って、美しいと感じたものを正しく描写」することが絵画や彫刻であり、そのためには「外形的な科学的正確にのみとらわれて居てはいけない」と言います。

つまり美を感じた箇所を感情に合わせ表現しつつ、その描写は動性と量感がなければならない…といったところでしょうか。
セザンヌ主義的なものが児童画に影響を与えたことがわかります。
また、それが彼の彫刻観でもあるのですね。

石井鶴三の作品に、同じく長野の農民たちに教えた農民美術的な作品や、奈良人形のように、カタチを簡易化した量感のみのような作品郡があります。
そういった作品の理論的な裏付けが上記の彼の発言から理解できますね。

そういった理論の流れが、橋本平八や木村五郎等々の彼の後進に影響を与えたことは、とても重要だと思っています。
また、現在の児童画にも影響を与えているとも言えるでしょう。
ただ、この講演筆記では、子供たちの作品の中でダメなものを上げて評論を行っています。
さすがにそれは、現代ではできなさそうですね~

2023年5月29日月曜日

戦前メダルのカタログ

内外徽章製作所 No.40

内外徽章製作所 No.42

内外徽章製作所 No.44

内外徽章製作所 No.47

日本帝国徽章商会

サヌキ商会徽章製作所

アサヒ徽章製作所 No.85

市井のメダル制作会社によって配布されたカタログになります。
昭和に入り、メダルが一般化し需要も増えます。
制作会社も増えていく中で、差別化やクイックな対応、地方からのアクセスし易さ等の為にこのようなカタログが必要とされ、各社毎に発行されました。

中はこんな感じで、メダル原型の一覧が載っており、ここから選ぶことができます。

『御注文の栞』には、
『原型の彫刻料は四五圓及至七八圓位、』『裏面の原型彫刻料は......大凡三圓位より五六圓位の處で出来ます、特殊の彫刻は其の難易に依て実費を申受けます。』
『カタログの中から御擇撰御注文の場合は 掲載のもの全部何れも表面の原型彫刻料を要しませんご利用ください。』
等々と書かれています。

このブログでは、彫刻家によるメダルをメインに紹介していますが、こうした市井のメダルや造幣局製の公のメダル等もあります。
こうしたメダルに縦横に人々が関わり、立体的に戦前のメダル界が成っているのですね。

2023年5月6日土曜日

村山知義 述「演劇言論(Ⅱ)―社会主義的演劇の発展と唯物弁証法―」とポリコレ♥



マルチクリエイターのはしりである村山知義。
社会的規模の小さい中ではあるけれど、前衛、プロレタリア美術と彫刻、絵画、デザイン、イラスト、演劇、舞台、建築とを網羅しつつ「先」へと進もうとしたそのエネルギーが熱い。そしてウザい!
その熱いウザさを、演劇方面でまとめた本がこの「演劇言論(Ⅱ)―社会主義的演劇の発展と唯物弁証法―」です。

さて、この本では、まずは日本の社会主義的文化運動の黎明期から説明し始めます。
その内容が結構辛辣。どこまで本当か分かりませんでけど。
例えば
『「犠牲者」「カムチャッカ行き」を上演し、その演出をしたのが佐野碩で、プロレタリア演劇が大合同して左翼劇場ができて、弾圧がはじまるとすぐヨーロッパへ亡命した人です。この人は駿河台にあった佐野病院の院長さんの息子さんで、初期共産党の幹部であった佐野学の甥で、勢力のある親族もあり、お金もあったので、本当をいえば捕まるところだったんだけれども、当局に話をして、外国に行けば許してやるという条件で外国へ行った人です。ぼくなんかお金が無かったし、勢力のある親族もなかったので日本にいて捕まいましたけれど、その時外国に行けた人が佐野碩とか土方与志とか、ちょっと後になって千田是也などです。』
なんて書いてあります。
恨みがましい。

あと、面白いかったのが
『唯物弁証法的創造方法というのが社会主義的創造方法の前に芸術上の創造方法を支配」しているという記述で、その「唯物弁証法」をこう説明します。
『絶対的なものは存在しない、ものはすべて相対的である。永久のものは存在しない時間的である。固定し静止しているものは存在しない、常に流動し変改している』
これを「唯物弁証法」の基本思想だと言うのです。
それって「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」って事ですね。
つまり仏教における「無常」。
ただ、村山知義はその流れ続ける川が「進歩」していると考える。

その「進歩」の理由として『ヘーゲルの完成した観念論的弁証法が、唯物弁証法というものに発展してゆく」と西洋哲学の歴史を示し、『これを創ったのがまずフォイエルバッハであり、マルクスであり、エンゲルスであり、それをさらに発展させたのがレーニンであるということになります。』と。

西洋哲学(その裏にあるキリスト教)と仏教等を理由に「唯物弁証法」を正当化します。
信仰の「信じる」という姿から導かれた理論で正当化。
それって、それそのものが「信じる」からそうなんだって言っているのと変わらない。
「私はマルクスをエンゲルスを、レーニンを信仰していのだ!」って。

『人間は真実を追求し、真理のために何を尽くせるか、真理を守るために一生を捧げるという気になるものです。真理は人類全体の幸福にかかわったものだから、私という小さな一個の生命はそのためにささげようとなるはずのものです。社会主義全体では、みんなこういう気持ちになれる。』
オウムの麻原彰晃が、常に「真理」「真理」と述べてたような危うさがあります。


第二節はプロレタリア芸術史のまとめと社会主義リアリズムとは何か論

日本プロレタリア芸術史を簡単に要約すれば、
①ソビエトより「唯物弁証法的創作方法」の輸入
②福本イズムによって現実と離れた極左的化する
 ソビエトの「ラップ」も同様の誤謬を犯す
③昭和8年 社会主義リアリズム提唱
④満州事変直前、3.15や4.16で検挙され、人手が足りないところにオルグが入り込む
⑤村山知義と久保栄 社会主義リアリズム論争
とまとめます。

そして、社会主義リアリズムとは、先の「唯物弁証法」を信じたうえで、「資本主義は全て階級社会であり、階級間の戦い、矛盾によってより高度な社会主義社会を生みだす」という階級的歴史観に立って「現実」を見、その「現実」に対する「愛」として社会主義的「リアリズム」があると。

最後に「愛」という普遍的(に見える)もので「社会主義的」の土台とする姿は、なかなかやるな~と思います。
なんらかの「イズム」の信仰にはこういったものが必要でしょう。
そして、そんな社会主義リアリズムによって、日本だけでなく、ソ連や中国でも「愛ゆえに」内ゲバが起きたりするわけです。

昨今のポリコレとその批判も同じ歴史を歩んでいる様に見えませんか?
違いは、社会主義リアリズム論争がソ連や中国のような大きな権力で統一化されないことぐらいです。
だからなおさら、当時の日本の社会主義リアリズム論争のように、「何が正しいか」を彼らの内側だけで論じている。
もともと、「ポリティカル・コレクトネス」はソビエト連邦共産党の政策と原則の遵守を求める言葉が起源らしいですしね。

信仰と愛による「何が正しいか」のイズムによって他者を染めようという運動は、山岳ベースで自己批判されるべきだったと思う。
それができないのが人なのだとしても、超人にはなりえないとしても、そのあたりでウロウロする姿そのものを否定しないであるのが、「芸術」であって欲しい。
(でもそれってアートじゃないのよね)

2023年4月9日日曜日

彫刻家菊池一雄筆「彫刻家高村光太郎」原稿



彫刻家菊池一雄による高村光太郎論、直筆原稿です。

『彫刻の伝統の中に生まれた宿命的な著者(※高村光太郎)にとっては、日常生活もそしてその詩も、すべてが彫刻の世界である。』
『高村氏はまことに寡作の彫刻家である。或は人の目にふれる彫刻作品は、その詩よりも少ないかもしれない。しかし、それは彫刻に対する情熱の不足を示すものではない。むしろあり余る情熱に彫刻が溺れるのを怖れるのであり、その詩は彫刻を病熱から護る役目を背負っている。』

彫刻家による高村光太郎論によくある、高村光太郎って凄いんだぜ!論ですね~
高村光太郎の文章に薫陶を受けた彫刻家って皆、こういった語りの印象を受けません?
具体的に光太郎の重要性や個々の作品を語るのではなく、俺が凄いと思っているからそうなんだって文章。

この原稿では文字数少ないし、しかたがないのかもしれませんけどね。
(ちなみに世にある岡本太郎論も同じ印象)

高村光太郎の最後の作、十和田湖の「乙女の像」には、その建設委員に土方定一や草野心平の他、菊地一雄も加わっています。
彼らの推薦と協力が合って、あの腰の重い光太郎による「乙女の像」が1953(昭和28)年に建立されます。
この像は、向かい合う2体の裸婦像です。

また、菊池一雄の代表作に、1951(昭和26)年に日本電報通信社創立50周年記念事業碑として東京都千代田区隼町の三宅坂小公園内に設置された「平和の群像」があります。
「愛情」「理性」「意欲」をテーマとして原型を制作した3体の裸婦像です。

それぞれ2体と3体の裸婦群像。
年代としては、「平和の群像」が早いのですが、意識し合うことはなかったのかな?

2023年4月2日日曜日

改号紀念 渡南會作品目録 及び 趣旨會則


「改号紀念 渡南會作品目録 及び 趣旨會則」






「渡南」と改号した彫刻家による作品目録になります。
彼の実名は「長愛之」。
東京美術学校を明治32年に卒業した彫刻家です。
彼の作品と言えば、芸大にある昭和2年作「竹内久一先生」像。
同じく芸大には「島津義久」石膏像等が残ってますね。

この目録では、彼が1904(明治37)年に行われたセントルイス万国博覧会に出品した事、1903(明治36)年第五回内国博覧会において農商務省委託で庭前大噴水像を製作とあります。
これかしら?

この作家を研究されてる研究者さんっていますかね~
その方に届け!

2023年1月23日月曜日

大正3年改正 菊地石膏模型所 「石膏模型目録」



菊地鋳太郎による石膏模型所の「石膏模型目録」は、明治40年改正版が存在するよう。
この大正3年改正版はその10年後の発行となります。




販売カタログですので、各石膏像の価格が記されており、この大正3年版では、像例えば「ミロ島のヴエニユス(ミロのヴィーナス)胸像 原寸大」が「金拾参圓五拾銭」となってます。
これが、他の版ではいくらになっているか、興味深いところです。




他に興味深いのは、菊地鋳太郎作と思われる伊藤博文や東郷像のような日本人を描いたものがいくつもある事。雪見灯篭の石膏像なんていうのもあります。
こういった作品が、このカタログの表紙の中心に添えられている点も興味深い。
また、昭和に入りモチーフとして多く用いられる二宮尊徳、和気清麻呂、武内宿禰がすでにラインアップされている事もそうですね。


次に、手工科や図画の学生用として安価に作られた石膏セットが販売されている事です。
その販売に尽力されたのが東京高等師範学校の岡山先生、新潟県師範学校の西垣先生、東京赤城小学校訓導山本先生と記してあり、戦前の手工教育論者であった岡山秀吉、同じく新潟は西垣維新と思われます。山本先生は不明。
この石膏セットは、明治40年改正版はあるのでしょうかね?
以降の版でも内容に変化があれば、それは石膏での美術教育の発達史の変化だと言う事です。
面白いですね。




あと、私の所有する「百合花ノ像本」も載ってました。
良かった~

最後に、「注意」として粗品を乱造して安く売っている他業者があるようで、気を付けるように書かれています。
大正3年には、そでにそういった業者が出回っていたんですね。
もし、それが現存するなら、それもまた観てみたいです。

2023年1月15日日曜日

写真師井谷豊三撮影 海女石膏像

上野仲町の写真館で撮られた海女の石膏像です。
井谷(T.Itani)とあることから、写真師井谷豊三による作品とわかります。
井谷豊三は明治期の写真師で、写真の形状からもその時期の写真と石膏像だと思われます。

西洋の裸婦像を、当時の風俗の中で表現しようとし海女をモチーフとして選んだのでしょう。
作者は4不明ですが、作風から新海竹太郎にも見えますが、どうでしょう?

2022年11月20日日曜日

東京パック? 雑誌の切り抜きから

戦前の雑誌の切り抜きより、彫刻家の記事です。
当時はアイドル味の強い扱いだったんですよね。


「帝展審査委員長小倉右一郎のアトリエで、新に求たモデルに依り彫刻中の女性の座像である。」



「日名子実三氏(構造社)高石選手の像」



「朝倉文夫氏のアトリエにおける新進作家が大汗の光景です
右から堀江尚志。久保田吉太郎、松田尚之、安藤照、泉谷善一郎、小室達氏及びその作品です。」


「佐藤朝山氏の「木花咲耶姫」(院展)」


「藤井浩祐氏の「浴泉」院展」



左「朝倉文夫氏のアトリエ」
右「堀進二氏(帝展)土肥博士の像」


「彫刻特選「大空に」の作者安藤照氏とそのモデル」

「大洋を前にして 大國貞蔵氏作」
 この「大洋を前にして」は当局からの指摘(忌諱)で作者自身が「『それならかうしましせう』以外に軽く同意して、ポケットからとり出した鑿で、ゴリゴリ股間を削りとってしまった」そうです。

「朝倉文夫氏のアトリエ」のガリガリでボサボサ頭は堀江尚志でしょうか?
貴重な写真ですね。
それと、そのアトリエで仕事する女性作家は、仕事着でなく浴衣なんですね。この人誰でしょう?

安藤照の写真にあるように、モデルの特定できるのが良いですね。
こういう資料って、私的にはすごく貴重ですので。

2022年7月17日日曜日

第4回プロ展 絵葉書

昭和6(1931)年に行われた「第4回プロ展」。
紹介するのは、この展覧会で日本プロレタリア美術家同盟が発行した絵葉書です。

こういった資料でしか、プロレタリア美術の、特に彫刻作品は観ることができないので、ありがたい。
今日はいい日だ。

白石寛「召集」、長谷川三造「ストライキへ!」

川越治武「武器」
この3作品は、素晴らしいですね!
生々しさを感じます。
群像の「ストライキへ!」は、写真の陰影のせいもあってかジョージ・シーガルのよう。
川越治武の「武器」も、同時代の官展系彫刻家には無い、緊張感があります。
当時の空気を彫刻に込められている気がします。
しかし、やっぱり、彫刻はプロレタリア美術には合わないですね。
それは、制作におけるカロリーの高さが、時代のスピードに追い付けないからなのでしょうね。

工藝「お盆、灰皿、玩具」
こういうのも出品されていたんですね。
プロレタリア美術としての「玩具」というありかたは、面白いです。
ユーモアある彫刻になってます。


室順治「萬国の労働者団結せよ!」
新井光子「農村少年のデモ」
矢部友衛「凱歌」

小山英治「傷害に対する戦ひ」
寄本司麟「ソビエート同盟の話」
大月源二「青年獲得を主題せるコンポジション」

石井良一「美術を愛好する同志よ仲間を作れ!」
須山圭計一「共同作業」

松山文雄「最后の手段(独逸)-「対立」-A」
やはり、イメージを具体的に伝えるには漫画は強いですね。
群像で物語る力は絵画の魅力ですが、こうしてみると彫刻もなかなかやるな、と思いました。プロレタリア美術における彫刻の魅力を見くびっていたのでしょうね。
反省です。
あとは、現物が観れれば......

絵葉書はまだありますので、時機を見て紹介します。