画家黒田頼綱による「海」です。
板に油彩。
裏側には「文展無審査 光風会会員 〇〇美術〇〇 陸軍美術協会会員 海洋絵画協会会員」と書かれています。
このことから、戦前の作品と思われます。
このことから、戦前の作品と思われます。
黒田頼綱は、1940(昭和15)年に近衛文麿内閣によって、対中政策のために設置された興亜院の委託で北京に、1943(昭和18)年には海軍報道班員としてフィリピン・ジャワなどに従軍しています。
板に描かれていることからも、このころに現地で描かれた作品なのではないでしょうか?
この作品「ボートデッキ」も、船内を取材して描かれたのでしょうね。
この年の瀬に、この作品を紹介するわけ……
それは、ただ単純時に当時「海」を描いた「ゴジラ-1.0」について語りたいからでしかありません!
観に行きましたよ!
このゴジラが現れる海、実写部分とCGの組み合わせなんですよね。
真昼間のゴジラを至近距離で見られるだけでもすごいのに、それが海中ですよ。
真昼間のゴジラを至近距離で見られるだけでもすごいのに、それが海中ですよ。
黒田頼綱も見ただろう、そして描いた当時の日本の海を、こうして現代になって新たなメディアで描かれているわけですね。
ゴジラと言えば、私にとって東京というより海なんですよね。
60年代以降のゴジラがベースとなって人格形成されてからなのかもしれません。
南海に現れるゴジラ、海から来て海に戻るゴジラ、それがゴジラのイメージなんですよね。
そういう意味でも、「ゴジラ-1.0」は素晴らしいゴジラ映画でした。
60年代以降のゴジラがベースとなって人格形成されてからなのかもしれません。
南海に現れるゴジラ、海から来て海に戻るゴジラ、それがゴジラのイメージなんですよね。
そういう意味でも、「ゴジラ-1.0」は素晴らしいゴジラ映画でした。
演技が臭いとか言われてますが、こうして戦時の物を収集している私から言わせれば、この時代の「熱さ」を感じられる演出だったと思うんですよ。
それは浮かれていたとも言えるのかもしれませんが……
「ゴジラ-1.0」では、戦争に生き残った人々が、もう一度彼ら自身の「終戦」に向き合います。それは、戦後処理のやり直したい、あいまいであった日本の私たちに区切りを付けたいという、新しい戦時下となった令和の欲望なのではないでしょうか?
私自身、ここにこうして戦前戦中のメダルの記事を、誰から頼まれているわけでもなく書いているのですけど、これってどこかで「戦後処理のやり直し」って気持ちがあると思うのですよね。そういう意味で「ゴジラ-1.0」にリンクしてしまう部分があったんじゃないかと思います。
この映画は、かつてビートルズが、ブルースリーが、スターウォーズがそうであったように、文化としてのエポックメイキングになり得る作品だと、私は劇場を出るときに思いました。皆さんはいかがでしたでしょうか?