「近代画説」の第二十九号は、特集『近代日本美術史は、作品の現存しない作家をいかに扱うことができるか?』とし、彫刻家で教育者の国安稲香。同じく彫刻家の今戸精司、画家の船越三枝子についての論文が掲載されています。
田中修二氏の論文『国安稲香―京都の近代「彫塑」を育てた彫刻家』は、愛媛で生まれ、京都市美術学校を卒業し、その後同校の教員として若い彫刻家を育てた国安稲香について書かれています。
彼自身の作品で把握できる物は少なく、論文内でも「横山省三」銅像の写真があるのみです。
こういった美術の教科書に載らない人物に光があたるのは、嬉しい事ですね。
日本の美術史は、一握りの「天才」によってではなく、こうした人による厚い層によって成り立っていることを忘れないようにしたいものですね。
以前、著者の田中さんとお話ししたときに、70年代の円空ブームに興味がお有りでした。円空が地方で発見された事、地方の人々が円空彫を作って楽しむ事、「作家」だけではない市井の人々の創作の営み、それもまた文化の厚みであると思います。
ちなみに、式場隆三郎が木食の研究をし、山下清の作品を持って地方を巡業した出来事がなければ、円空ブームも違った形になっていたかもと思いますね。
美術とは作品でしか語れないものではありますが、人の営みは縁起であって、突出したもや、目に映るキラキラしたものだけで語ってはいけないと再確認しました。
まぁ、作品もないのに語られる高村光太郎という作家もありますが、あれもどうかと思いますがね。