2021年4月21日水曜日

『近代画説 田中修二著 国安稲香―京都の近代「彫塑」を育てた彫刻家』を読む

 「近代画説」の第二十九号は、特集『近代日本美術史は、作品の現存しない作家をいかに扱うことができるか?』とし、彫刻家で教育者の国安稲香。同じく彫刻家の今戸精司、画家の船越三枝子についての論文が掲載されています。

田中修二氏の論文『国安稲香―京都の近代「彫塑」を育てた彫刻家』は、愛媛で生まれ、京都市美術学校を卒業し、その後同校の教員として若い彫刻家を育てた国安稲香について書かれています。
彼自身の作品で把握できる物は少なく、論文内でも「横山省三」銅像の写真があるのみです。

こういった美術の教科書に載らない人物に光があたるのは、嬉しい事ですね。
日本の美術史は、一握りの「天才」によってではなく、こうした人による厚い層によって成り立っていることを忘れないようにしたいものですね。

以前、著者の田中さんとお話ししたときに、70年代の円空ブームに興味がお有りでした。円空が地方で発見された事、地方の人々が円空彫を作って楽しむ事、「作家」だけではない市井の人々の創作の営み、それもまた文化の厚みであると思います。
ちなみに、式場隆三郎が木食の研究をし、山下清の作品を持って地方を巡業した出来事がなければ、円空ブームも違った形になっていたかもと思いますね。

美術とは作品でしか語れないものではありますが、人の営みは縁起であって、突出したもや、目に映るキラキラしたものだけで語ってはいけないと再確認しました。
まぁ、作品もないのに語られる高村光太郎という作家もありますが、あれもどうかと思いますがね。

2021年4月12日月曜日

日名子実三作 天使のゴルフ レリーフ

本日は、一人の日本の選手にゴルフの天使が舞い降りました。
松山英樹選手、マスターズ制覇おめでとうございます!

そんなゴルフの天使を描いたレリーフを紹介します。
原型は日名子実三です。
時代も何のために制作されたかもわかりませんが、20cm程あるレリーフですので、記念楯に付いていたのかもしれません。

日名子のゴルフ関連の作品には、私の所有する物では「学士會ゴルフクラブ 内務次官賞」盾があります。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2012/10/blog-post_30.html
また、日名子の仕事には、この楯の立体像やクラブを振り上げた選手像があります。http://opamwww.opam.jp/collection/detail/work_info/6734;jsessionid=D363DDF211BB2C287FA3C63A44D5B01B?artId=636&artCondflg=1

こういったゴルファー像は実際の選手をモデルにしていると思うのですが、日名子は神像とか河童とか想像上の姿を描くことも多く、この天使もそういった作品の一つだと思います。

天使と言えば、日名子は第24回全国中等学校優勝野球大会記念章(現夏の甲子園大会)にグローブとボールを持つ天使像を描いており、このゴルフをする天使像とそっくりです。
というより、どちらかをリサイクルしたのでしょう。体の傾き、足の位置などはまったく一緒です。
第24回全国中等学校野球大会が1938(昭和13)年なので、その前後にこのゴルフをする天使のレリーフは用いられたのでしょう。
また、野球をする天使像が中等学校野球大会という学生選手らのために用いられたことから、ゴルフをする天使も学生大会に用いられた可能性もありますね。

戦前から続く日本のゴルフの歴史に、本日の松山英樹選手の快挙が加わりました。
そして、また新たな歴史が作られていくのですね。

2021年4月5日月曜日

第一回鮮展入選 土屋義豊 作「W君ノ顔」絵葉書

鮮展は日本併合下の朝鮮で開かれた官展で、1922年に第一回展が行われました。
日本の官展に倣い行われましたが、特徴として再帰的なパトリズム、現地人が西欧だけでなく日本を通した目で見られた郷土を描くという込み入った美意識の上で表現が行われます。

この「土屋義豊」氏の名は、第4回鮮展にもあることから、当時の朝鮮で仕事をされていた作家だと思われます。
ちなみに第4回展では、土屋義豊の「若キ樂人」他に
岩永龍太郞「顏 」、
山田嘉一郞「或ル女ノ像顏 」、
田鳳來「髮 」、
金復鎭 「三年前 」
寺畑助之丞「編物する女」「M子の顏 」が出品されたようです。
構造社の作家の寺畑助之丞は、鮮展の第2~4回評議員及び審査員を、同第5回参与及審査員を行っています。

 土屋義豊という作家については、これ以上わかりませんでした。
どこかで情報に出合えば、またブログで紹介していきたいと思っています。

鮮展についてネットを漁っていたら、朝鮮で育ち、新潟で亡くなった戸張幸男という作家を知りました。
https://kinbi.pref.niigata.lg.jp/pdf/kenkyu/2011/11koseongjun.pdf

この論文には、戸張幸男について『1945年の日本の敗戦と朝鮮半島の解放をきっかけに朝鮮におけるキャリアが否応なしに断絶してしまったため、その結果朝鮮滞在期の制作活動については、日本においても韓国においてもこれまで省みられることはなかった』とあります。
政治的なもので「美術史」は断絶されます。
日本美術史の範囲は、政治による恣意的なものでしかないことがわかります。

この論文を書いた高晟埈という学芸員は、私と同い年でありながらかなり面白い仕事をされていて、
「民衆の鼓動―韓国美術のリアリズム 1945-2005」、「日韓近代美術家のまなざし―「朝鮮」で描く」等の朝鮮と日本とを結ぶ展覧会を行っています。
ですが、2015年のトルコのカッパドキア壁画調査旅行中に亡くなったそうです。
残念です。

この方や、私がまだ作家をやっていたころに一度だけお世話になったアナーキーなインディペンデントキュレーターの東谷隆司とか、朝鮮と日本とを文化で繋げる仕事を実直にやられている方はいらっしゃると思います。
それが政治で分断されたとしても、そこにある人と人の仕事は、戸張幸男を再発見した高晟埈の仕事のように、いつか繋がっていくのだと、そう思いました。