2023年10月22日日曜日

明治37年 清国水師営を描いた絵葉書用の石版


絵葉書の版として作られた石版ですね。
印の様な図には「第三軍 37‐9‐20 水師営」とあり、1904(明治37)年の清国軍の駐屯地を描いたものだと思われます。

版を紙越しに鉛筆で擦って、それを画像反転したのがこちら。
この版で描かれた1904(明治37)年に勃発した日露戦争によって、絵葉書ブームが起きます。
この版の絵葉書も、ご当地の絵葉書として、生の情景を描いた最新ニュースとして物凄い需要があったでしょうね。
ですから、このような多少稚拙な石版でも人気あったと思います。

石版による印刷をリトグラフと言います。水と油の反発作用を利用してインクを乗せていくのですね。材質は石灰石を用います。
けど、どうなんですかね?
この版だけでなく、多色のための別版があったのでしょうか?

また、石板の右端に「乙巳九月十三日 於清国顧家屯 大塚郡六彫刻」とあるので、この石板が制作されたのは、1905(明治38)年だとわかります。
中国の青島市「顧家荘村」において、「大塚郡六」という人物が彫った作品のようです。
「大塚郡六」についてはよくわかりません。

この版を用いた絵葉書が見つかったら、是非声をかけてください!

2023年10月16日月曜日

HOPITAUX JAPONAIS EN FRANCE メダル

今日の謎メダルです!



表には、日本赤十字社。ベッドに横たわる患者と、日本人医師と看護師が描かれています。
彫刻家の銘があり、「P. LENOIR」と記されています。
裏には、フランスと日本の国旗、「1914」、「1918」、「HOPITAUX JAPONAIS EN FRANCE 」とあります。
また横面には、「1970」「bronze」「France」と小さく刻印されてます。

P. LENOIRは、フランスの彫刻家でメダル作家であるピエール・チャールズ・ルノワール(pierre charles lenoir)だと思われます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Charles_Lenoir
彼は1879年パリ生まれ、1953年に亡くなっています。
このメダルでは、彼によって日本人が描かれているのですね~
ちょっと変ですけど。

1914年に第1次世界大戦が始まります。これに日本も参戦したため、日本赤十字社はロシア、フランス、英国に病院船と救護班を派遣し、傷病者の治療に当たります。
このメダルは、その功績を称えるものだったのでしょう。

横面の「1970」は再作成された年ですね。
日本とフランスの深い繋がりを確認するようなイベントに用いられたのかもしれません。
(万博?)

今、まさにいくつかの国で戦争が行われています。
その地で、こうした医療者たちが必死で働かれています。
頭が下がる思いです。
しかし、そんな彼らへの「顕彰」そのものが無くなる時が来ることを望みます。

2023年10月10日火曜日

柚月芳 作 石膏レリーフ


柚月芳は、1901(明治34)年、富山県朝日町生まれの彫刻家です。
富山県立高岡工芸学校を卒業して上京、小倉右一郎に師事し、東京美術学校彫刻科を出ています。
26歳でキリスト教の洗礼を受けて以来、キリスト教をモチ-フとした作品を制作します。
富山といえば、畑正吉や佐々木大樹等の著名な作家を生んだ地ですね。
この作家もそんな地元を愛した作家のようで、朝日町立ふるさと美術館でその作品を見ることができます。

画像の作品は、口づけをする男女を描いたもので、石膏作品です。
裏に「昭和十二年一月六日 於作者アトリエ贈典サル 柚月芳氏作 橋本有」と来歴が書かれています。
1937(昭和12)年で、柚月芳は36歳。
脂ののりきっている頃の作品でしょう。

これも、聖書の物語をモチーフとしたものなんでしょうか?
アダムとイブ?
男が天に指を指してるのも意味深です。
陽咸二の燈下抱擁に似てますね。1924(大正13)年の作ですから、10年後の作品ですけど、それでも時代的に”破廉恥”な作品には違いありません。
公には出せない作品故に個人に直接手渡したのかもしれませんね。

2023年10月1日日曜日

武石弘三郎ー人物と作品

2か月ぶりです!
今日から再開します。
これからも小さなコレクションの紹介していきます。

ですが今回は、ゆいぽーとで行われている「二葉アーツスクール2023 めだかの学校」のレポートです。『武石弘三郎ー人物と作品』と題し、新潟出身の彫刻家武石弘三郎について、新潟県立近代美術館の学芸員、伊澤朋美さんによる講義がなされました。
ここ「ゆいぽーと」は、妻の出身校である旧二葉中学校が前身で、そこには武石弘三郎による1942(昭和17)年制作の「竹内式部像」が現在も設置してあります。

この像の見学も行いました。





戦前の金属回収も敗戦時の銅像回収も免れ、隠すために土に埋められる等もされたこの像ですが、今はこの暗い木々合間に凛と座られています。
1メートル程しかない小さなサイズですが、威厳を感じまさせますね。

左手には日本書紀。
天皇に「尊王攘夷」を説いた人物であることを、昭和の戦時下で評するための銅像であり、つまりこういうカタチでの「戦争彫刻」と言えます。

その横には「紀元二千六百年 武石弘三郎作」と刻されています。
全国各地で行われた神武天皇即位紀元(皇紀)2600年の祝い行儀の一つとして、この銅像建立があったのだとわかります。

紀元二千六百年は昭和15年。
この像の建立が昭和17年ですから、企画が15年だったのか、それとも必要な物資がなくて延期されたのか、どちらでしょうね?
それと、金属提出を免れるために土に埋めたというエピソードがあるのですが、それも変な話で、敗戦まで埋められていたというの事なのでしょうか?
像の正面に2か所、ボルトで留められているのですが、これは取り外した跡?
色々気になりますね!

あと、私の持つ小さな銅像ですが、やっぱり武石弘三郎じゃないかも!
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2021/03/1918-kt.html