豊橋市の豊橋公園内にある弥健神社には、明治32年に制作された神武天皇像が奉られています。
この像を制作したのは岡崎雪声。
彼は鋳造師として知られ、西郷隆盛像や広瀬中佐像、竹内久一の日蓮上人立像も彼の仕事です。
また、初めて薪を背負った二宮尊徳像を造ったのも岡崎雪声と言われています。
豊橋の前芝小学校には大正13年に日本で始めて小学校に建てられた二宮尊徳像があります。ちょっと不思議な縁ですね。
さて、現在、美術博物館等が建てられている豊橋公園ですが、明治時期から終戦までは歩兵第18連隊の駐屯地でありました。
今でも門や哨舎が残っていて、見ることができます。
そして、この地に建てられたのが、この神武天皇像でした。
ただし、現在と異なり、高台の上にあって人々を見下ろしていました。
画像は、その当時、お土産品として3銭で販売された石版画です。
版元は豊橋の高木定友。
記念碑の高さ、7間5尺5寸(約14m)
像の高さ、8尺5寸(約2.5m)
石垣広敷10間4方とあります。
その姿を豊橋市美術博物館のサイトで見ることができます。
西郷隆盛の像が上野に建てられたのが明治31年、この像はその次の年の制作であり、日本の銅像の最初期の物と言えるでしょう。
そんな像を一目見ようと人が集まり、こうしたお土産が売られたのだと思われます。
版画の図にも、子連れなんかが描かれていますね。
豊橋市美術博物館のサイトにもあるように、この像は、大正5(1916)年に練兵場内の北側に移設され石垣は撤去されます。
その姿がこちら。コレクションの絵葉書から。
どういった事情で移されたのでしょう?昭和の金属回収令時にも、天皇の姿と言うことで免れたろうこの像が、大正時代に平地に移動され、規模を小さくした理由が気になります。