1916 (大正5)年、新海竹太郎制作の「龍樹」絵葉書です。
文部省美術展覧会出品作の絵葉書なのですが、なぜかアトリエでの写真となっています。
なぜでしょう?
わざわざアトリエを選んだのでしょうか?
それとも撮影までに作品が間に合わなかったのかな?
アトリエには新海竹太郎による作品が陳列されています。
「原人」の頭の部分だけもありますね。
他は何でしょう?上部のレリーフも気になります。
東京文化財研究所所蔵ので新海竹太郎資料を見ると、この「龍樹」と背景が同じ写真がありました。
https://www.tobunken.go.jp/materials/sinkai/27963.html
文部省美術展覧会出品作の絵葉書なのですが、なぜかアトリエでの写真となっています。
なぜでしょう?
わざわざアトリエを選んだのでしょうか?
それとも撮影までに作品が間に合わなかったのかな?
アトリエには新海竹太郎による作品が陳列されています。
「原人」の頭の部分だけもありますね。
他は何でしょう?上部のレリーフも気になります。
東京文化財研究所所蔵ので新海竹太郎資料を見ると、この「龍樹」と背景が同じ写真がありました。
https://www.tobunken.go.jp/materials/sinkai/27963.html
ただ1914年の作品なのですよね。
棚の配置がそのままだったのか、それとも「龍樹」撮影時にまとめて撮ったのでしょうか?
この「龍樹」絵葉書の原板も東京文化財研究所にあるようです。
棚の配置がそのままだったのか、それとも「龍樹」撮影時にまとめて撮ったのでしょうか?
この「龍樹」絵葉書の原板も東京文化財研究所にあるようです。
さて、「龍樹」と言えば中観派の祖であり、空論を発展させた大乗仏教の創始者というイメージがあります。
それが新海竹太郎の手で表現されるとこういった厳しさを漂わせた立ち姿になるのは面白いですね。
それが新海竹太郎の手で表現されるとこういった厳しさを漂わせた立ち姿になるのは面白いですね。