2017年5月30日火曜日

まだ見ぬメダルたち その2

日本の彫刻家の中で、初めて自身の作品としてのメダル制作を行った作家は誰か。
私はそれを新海竹太郎だと考えています。

新海と言えば、1907(明治40)年の第一回文展出品作「ゆあみ」が有名ですが、他にも市井の風俗を描いた「浮世彫刻」など、幅広い仕事をしています。
新海竹太郎は日本彫塑の祖と言えるでしょう。

そんな彼のメダルとは、欧州留学より帰朝後、1902(明治35)年の太平洋画会展に出品された「少女浮彫凹型」と「婦人メダル用原型」が最初期のものだと思われます。

・少女浮彫凹型(少女像) 東京芸術大学大学美術館蔵


・婦人メダル用原型(裸女?) 東京芸術大学大学美術館蔵

これら原型を使ったメダルを、私はまだ見た事がありません。
当時においては、こういった裸婦像を顕彰品のモチーフに用いることは難しいことだったかもしれませんね。
しかし、それを提示する所に、当時の新進気鋭彫刻家、新海竹太郎の真骨頂があると思います。
彼が欧州留学中に学んだアール・ヌーヴォーは、工芸品を美術にしました。それを日本に伝えることで、美術と日用品とを結ぶラインが日本にも生まれます。
それによって、それまで彫刻家の片手間仕事だと思われていた雑品制作が、美の作品としてに昇華することになります。
新海竹太郎のこの分野における業績は大きなものだと思います。

2017年5月29日月曜日

黒岩淡哉 作 ペスタロッチ像



黒岩淡哉による「ペスタロッチ」半身像です。
黒岩淡哉は、明治22(1889)年に東京美術学校に彫刻科の第一期生として入学。卒業後は東京美術学校の彫刻科助手を勤め、後に関西に移り、当地で彫刻美術の啓蒙に勤めます。

そんな近代彫刻におけるレジェンドの一人なのですが、東京中心の近代彫刻史には名前が出てこない作家です。
このブログでは2回ほど紹介しています。

そして、この「ペスタロッチ」像ですが、広島文理科大学(現広島大学の母体となった)教育学研究所において、卒業生に渡された記念品だったようです。
ペスタロッチは、スイスの教育学者です。
彼の教育理論が日本に広まったのは、広島文理科大学の教授であり、広島大学の名誉教授となった長田新によって、その研究がなされたことによります。
現在でも、優秀な教育研究者に贈られるペスタロッチー教育賞が、同校にて授与されるそうです。

「ペスタロッチ」像の裏側には「広島八木トンボ堂謹製」の文字があります。
八木トンボ堂は、記念品制作の会社だったようですね。
広島の記念絵葉書などを制作していたようです。

右側には、贈られた卒業生の名前と、昭和8年3月7日、第二回卒業生に贈られたことが刻まれています。

この像を手に取ると、これを受け取っただろう熱い若者の想いが伝わってくるような気になります。
なんだか、ちょっと元気になります。

2017年5月28日日曜日

Intermission 銅像の展示をしてみたい

最近は、このブログの更新が疎かになっていますが、ダレていたわけではありませんよ。
5月の頭から、人に会ったり準備したりと、結構慌しく過ごしています。
また、その結果のご報告を致しますので、それまで少々お待ちください。

さて、話は変わりますが、表題に書いたように「銅像の展示をしてみたい」などと最近考えています。
ただ単に銅像を並べるだけでなく、その作品を触れるようにしたい。
ですのでレプリカでも良いのです。
歴史上の偉人の銅像、または上野の西郷像のような有名な銅像...
そういった像に触れることのできる展示がしてみたい。

触るのことのできる彫刻作品展というのは、無いわけではありません。
そういった展示は、視覚障害者に対し美術を楽しんでもらおうと言った意図で行われているものもあるようです。
私が妄想する展示も、そういった方々に対し、例えば「坂本竜馬」像とか「楠木正成」像とか名前でしかイメージできない人物の「像」に触れてもらおうといったものです。

私のコレクションからも、レリーフの像なんかのレプリカを用意して、それを触っていただければと思います。

いかがでしょうか?
こういった企画も暖めていければと思い、ここに記しました。