2022年8月16日火曜日

宗教と彫刻

昨今の旧統一教会問題で思うのは、反共産主義運動というのは戦前から根深くあり、たとえそれが時代に沿わなくなったとしても、その根を断つのは生半可では難しかろうと言うことです。
信仰が社会運動と結びつく時、その力は社会を超えてしまう危険があります。
その有り様こそが宗教ですからね。

そういった信仰が社会運動と大きく結びつき、社会現象化された時代が、時明治後半、大正から昭和初期にかけてでした。
江戸時代までの古い信仰の在り方が、西洋化、科学化によって急激に変わり、近代化された信仰の時代となります。
この時代の特徴は、職業宗教家ではない、在野の人物によって信仰が語られることにあります。その背景には、彼らの教養主義、人格主義がありました。

教養主義、人格主義は当時の美術(彫刻)とも結びつきます。
そうして、信仰とも結びつくわけです。

「美術(彫刻)」⇔「教養主義、人格主義」⇔「信仰」

信仰と美術(彫刻)については、このブログの裏テーマであり、何度も言及してきました。
明治大正/異端の科学 奇なるものへの挑戦
芸術の終末と宗教
荻野真「孔雀王」と岡倉天心の美術
煩悶青年のテロと彫刻家
仏教と彫刻
宗教者の肖像と彫刻家」......

その前提である、「教養主義、人格主義」について、もう少し考えることで信仰と美術(彫刻)についての考察も深まるのではないかと考えています。

まず、美術の側から見て「教養主義、人格主義」の代表と言えば「白樺派」ですかね。
彼らのロダンへの態度は、まさに「ロダン信仰」と言えるものだと思います。ゴッホへもそう。
「教養主義、人格主義」が当時の信仰、大本や天理教、岡田式静座法等の民間信仰も含めたもののベースとなっていると考えれば、「ロダン信仰」もまた、そういった宗教の一つなのだと言えるのかもしれません。

そう考えれば、その信仰もまた、旧統一教会の反共産主義運動のように、現在まで続く根を張っているようにも見えてきます。
このブログでは、そういった物を日の下に引っ張り出してしてみたいのです。

2022年8月15日月曜日

終戦の日・戦時下の絵

8月15日となりました。
本日紹介するのは、戦争下で描かれた子供の姿です。






服装から海兵団なのでしょうか?
少年兵?
であれば、港から立つ兵隊を見送っている図なのでしょう。
その兵隊はどこに送られるのでしょうか?
可愛らしい姿でありながら、背景を考えると悲痛な作品です......

今、この瞬間にもこうして戦場に送られる兵隊と、見送る子供たちがいるわけです。
戦後77年とは言えど、古びないモチーフであることが、悲しいですね。

2022年8月1日月曜日

日本美術院第10回展覧会出品 石井鶴三作「こども」絵葉書

大正12(1923)年に行われた日本美術院第10回展覧会。
そこで展示された石井鶴三作「こども」の絵葉書です。



この絵葉書と一緒にあるのが、新潟県三条市の彫刻家で日本美術院院友の半藤政衛による石井鶴三の略歴等を書いた便箋です。
この文章によると、石井鶴三作「こども」は、大正12年9月1日の関東大震災時に展示され、ほとんどの作品が破壊された中、無事だったそうです。
そして、今回「堀川社長」に譲られることとなり、半藤政衛による略歴と、日本美術院同人松原松造による箱書き、そしてこの絵葉書が合わせて渡されました。

半藤政衛は、石井鶴三に教えを受けた作家のようですね。
三条市にある松尾与十郎銅像
三条市立図書館にある良寛像
道の駅 燕三条地場産センター横にある「創」
こちらが、半藤政衛の公共の場所で見られる作品になります。

日本美術院展と当時の官展。
特に彫刻に於いては、月と太陽というイメージがあります。
院展にはどこか垢抜けなさがあるのですね。
そのイメージを作っているのが平櫛田中や佐藤朝山でなく、私にとっては石井鶴三なんです。
この「こども」もそうなんですが、どこかに「ネクラ」さを感じさせる。
良い悪いでなく、石井鶴三という作家は根元的な貧相さを抱えていると思いませんか?
1938年の「猫」という作品があるのですが、これが威嚇しているガリガリの痩せた猫なんです。朝倉文夫の良いもの食ってそうな猫が描けない。

漫画で言えば、白土三平とかつげ義春とかのガロっぽさがあって、それを半藤政衛の略歴にあるように「内面的な自然観照にもとづ」いた作品と評している。

そういった根元的アングラ作家が東京美術学校で教えていたというのは、面白く思うんです。
戦後日本を蹂躙した抽象彫刻の持つ「ネアカ」さに耐えられなかっただろうな~と。