昨今の旧統一教会問題で思うのは、反共産主義運動というのは戦前から根深くあり、たとえそれが時代に沿わなくなったとしても、その根を断つのは生半可では難しかろうと言うことです。
信仰が社会運動と結びつく時、その力は社会を超えてしまう危険があります。
その有り様こそが宗教ですからね。
そういった信仰が社会運動と大きく結びつき、社会現象化された時代が、時明治後半、大正から昭和初期にかけてでした。
江戸時代までの古い信仰の在り方が、西洋化、科学化によって急激に変わり、近代化された信仰の時代となります。
この時代の特徴は、職業宗教家ではない、在野の人物によって信仰が語られることにあります。その背景には、彼らの教養主義、人格主義がありました。
教養主義、人格主義は当時の美術(彫刻)とも結びつきます。
そうして、信仰とも結びつくわけです。
「美術(彫刻)」⇔「教養主義、人格主義」⇔「信仰」
信仰と美術(彫刻)については、このブログの裏テーマであり、何度も言及してきました。
「明治大正/異端の科学 奇なるものへの挑戦」
「芸術の終末と宗教」
「荻野真「孔雀王」と岡倉天心の美術」
「煩悶青年のテロと彫刻家」
「仏教と彫刻」
「宗教者の肖像と彫刻家」......
その前提である、「教養主義、人格主義」について、もう少し考えることで信仰と美術(彫刻)についての考察も深まるのではないかと考えています。
まず、美術の側から見て「教養主義、人格主義」の代表と言えば「白樺派」ですかね。
彼らのロダンへの態度は、まさに「ロダン信仰」と言えるものだと思います。ゴッホへもそう。
「教養主義、人格主義」が当時の信仰、大本や天理教、岡田式静座法等の民間信仰も含めたもののベースとなっていると考えれば、「ロダン信仰」もまた、そういった宗教の一つなのだと言えるのかもしれません。
そう考えれば、その信仰もまた、旧統一教会の反共産主義運動のように、現在まで続く根を張っているようにも見えてきます。
このブログでは、そういった物を日の下に引っ張り出してしてみたいのです。