明治以前、この国の「彫刻」的なモノのとして仏像がありました。
維新後に西洋のsculptureが輸入された結果、例えば高村光雲は自身の作品から漂う仏臭さから逃れようと試みます。
しかし、その後のsculptureを教育として受けてきた若い世代は、新たにsculptureとして仏教的なモチーフの作品を生み出していきます。
昭和初期の帝展などではそういった作品を多々見る事ができます。
それを憂えたフェノロサや岡倉天心らが仏像に新たなsculptureとしての価値を見出します。
それは美術館に仏像を並べることを可能にし、現在でも私たちは仏像を信仰から切り離し、「仏像」≒「仏教」としてこれらを見ています。
彫刻家達の仏教的なモチーフの作品もまた「仏像(彫刻家達の作品)」≒「仏教」です。
作家それぞれに信心があるのかもしれませんが、それらの作品は「ART」としての価値観、または信仰で覆われたものだからです。
近代が「仏像」≒「仏教」を生んだ...とそういった話で終わればよいのでしょが、実はこの話はちょっとめんどくさい。
つまり、元来仏教にとって、「仏像」≒「仏教」であるからです。
小乗仏教、つまりお釈迦様の時代に仏教はありません。
大乗仏教、日本まで流れ着いて変形した大乗仏教にとって仏像とは、文化の象徴であり、極楽を観想したり、信仰心を集中させる道具でしかありません。
大乗仏教の空観にとって「仏に逢うては仏を殺せ」であり、仏様自体あっても無くても良い存在。
いわんや仏像など必要あろうか。
その為、廃仏毀釈では、仏像が仏教徒にとってあっても無くても良いからこそ進んで破壊したとも言われます。
しかし、さらにさらに面倒なのは、仏教にとって仏像がそういった存在だからこそ「仏像」≒「仏教」を受け入れているわけで、よって、「彫刻家達の仏教的なモチーフ」や「美術館に並べられた仏像」をも仏教として囲いこんでしまいます。
京都へ行って仏像を見て回る観光をも、興福寺の阿修羅像を好きだという仏女らも、仏教は「ありがたいことです」と囲い込んでしまいます。
ではいったい、「彫刻家達の仏教的なモチーフ」とはなんなのか?
「美術館に並べられた仏像」はなんなのか?
これらの問題を解決することなく来たことで、北村西望の長崎の平和祈念像のような...まるで仏教のような...グロテスクな作品が生まれるわけです。
しかし、仏教の良いところは「お釈迦様がこう言った」と言えばどんなものでもお経になり、そのお経それぞれに宗派を生み出せること。
つまり「彫刻家達の仏教的なモチーフ」や「美術館に並べられた仏像」は新たな宗派として考える事だってできるのではないか?
北村西望のように仏教的なモチーフをつくる彫刻家や、美術館に仏像を並べたがる学芸員ら、そして阿修羅像を好きだという仏女はその檀家なのです。
仏教の近代化は、こうした新たな宗派をつくり、現在も尚、無自覚に信徒を増やしているわけです。
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