2016年5月28日土曜日

「 メダル・コレクション ~戦前・戦中の彫刻家たち~ 」 2週目

岐阜県博物館で行われています、私のコレクション展、「 メダル・コレクション ~戦前・戦中の彫刻家たち~ 」も、今日で2週間たちました。

本日は、本当に多くの人に来て頂き、感激しております。
今まで私が行った展示で、生涯一の人出かもしれません。

でも、本館の恐竜目当ての子供たち、ゴメンナサイ。
「全部、日名子じゃん!」って言ってたガキお子様、また観に来てね。

まぁ、若冲展ほど異常人気というわけでもなく、猫まみれ展ほど一般受けしないマニアックな内容の展覧会ですが、ちょっとでもご興味がありましたら、是非お越し下さい。

展示風景。







2016年5月26日木曜日

岐阜県博物館に来館下さる皆様に

岐阜県博物館への公共交通機関でのアクセスです。

★名古屋から:「名鉄バスセンター」→高速バス(高速名古屋線→「赤土坂」→徒歩
          「百年公園北口」→徒歩→「岐阜県博物館」

★岐阜市から:「岐阜バスターミナル又はJR岐阜駅14番乗り場」→路線バス→「小屋名」→
          徒歩→「百年公園北口」→徒歩→「岐阜県博物館」

★関から:長良川鉄道「関駅」→「関シティー・ターミナル」→高速バス(高速名古屋線)
       「赤土坂」→徒歩→「百年公園北口」→徒歩→「岐阜県博物館」


問題は、「赤土坂」または「小屋名」からの徒歩です。
バス停から北口まで結構かかり、さらに北口から博物館までも数分歩きます。
徒歩以外の手段が無いため、問題です。

お体の弱い方、御歳をめされた方、小さいお子様方々には、大変かと思います。
特に盲導犬などを連れた障害のある方、車椅子をご利用されている方にとっては、お一人でのご来館が難しい状況です。

このブログを読んで「博物館へ行ってみたいと考えているけれど、行くのは大変だ~」と考えている方がありましたら、遠慮なく下のコメント欄にその旨をお書き下さい。
なんとかします。

2016年5月24日火曜日

2016年5月19日木曜日

「 メダル・コレクション ~戦前・戦中の彫刻家たち~ 」について 大切なお知らせ その2

今週末の展示初日、21(土)、22日(日)ですが、事情あって私の在館ができなくなりました。
もし、この日に訪館予定でしたらすみません。

他の在館日も追って、このサイトでご連絡いたしたいと思います。
よろしくお願いいたします。

2016年5月15日日曜日

「 メダル・コレクション ~戦前・戦中の彫刻家たち~ 」について 大切なお知らせ。

昨日、岐阜県博物館へ、「 メダル・コレクション ~戦前・戦中の彫刻家たち~ 」の搬入に行ってきました。
作業をしていてわかったのですが、岐阜県博物館周辺はケイタイがつながり難いようです。
私のauは、一本も立ちません。
もし、当日私にお電話をされる方がありましたら、出れない可能性がありますので、できましたら前もってお電話いただくか、メールにてご連絡をお待ちしています。
申し訳ありません。

岐阜県博物館のサイトです。
http://www.gifu-kenpaku.jp/mymg/2802/

交通アクセス
http://www.gifu-kenpaku.jp/guide/access/

★車での行き方
東海北陸自動車道 関インターから車5分。
北入口よりご入園ください。
岐阜県博物館は、駐車場が無料ですが、そこから博物館までは少し歩かなければなりません。
御容赦ください。

岐阜県博物館のある百年公園のサイトです。
http://hyakunen-kouen.jp/facility






2016年5月5日木曜日

Intermission バーナード・リーチ 絵葉書

戦前の、たぶん1934年あたりと思われるバーナード・リーチ作品の絵葉書です。





これも骨董祭で購入しました。
興味はありますが、分野が違うのでどうしようか迷ったのですが、とにかく写真が美しく買ってしまいました。

この裏には Barnard Leach 1934 と記入されています。
1934年は、バーナード・リーチが再来日した年ですね。
この頃は、柳宗悦や他の仲間たちと深い交流を行い、充実した制作を行っていた時代のようです。
同年には、式場隆三郎が彼の本を出版してます。

そして、2年後の1936年には日本民藝館が開設されています。
もしかしたら、そこで売られていた葉書なのかもしれません。
日本民芸館には行ったことないので、現在も同じデザインの葉書が売られているかわかりませんが、どうなんでしょう?

この分野は先行研究が膨大にあり、ちゃんと勉強したことがないので、憶測でしか書けないのですが、バーナード・リーチの日本での立場というは、イサム ・ノグチに似ているような気がします。
イサム・ノグチの登場は、日本の彫刻界に旋風を巻き起こしました。
簡単に言えば、日本の彫刻界という狭い世界に海外の視線が入り、さらにイサム・ノグチが「日本的なもの」を評価したことで、日本彫刻家たちのプライドと妬み、そして憧れ、そういうものが噴出したのですね。
バーナード・リーチについても、そういった感情が日本側にあったのではと思うのです。

ただ、イサム ・ノグチがどこまでいってもアメリカ人であって、黒船的なものであるのに対し、バーナード・リーチは日本の仲間に巡り合えたことで、そういった対立をことさら際立たせることなかったと言えます。
なにより、日本人の美意識を感じさせるバーナード・リーチの芸術として、日本及び欧米各国にも評価されたのだと思います。



2016年5月4日水曜日

ロダン 作 「少女の顔」 絵葉書

ロダンの「少女の顔」2枚です。
先日名古屋で行われていました骨董祭にて購入しました。



前回紹介しましたロダンの「巴里のゴロツキ」と同系の葉書みたいです。

この「少女の顔」ですが、大正9年の第7回再興日本美術院展に出品された作品のようです。
持ち主は岸本吉衛門。

『少女の顔はパリージアンを代表するもので併せて乙女を代表するものである。其唇は見る人を吸い寄せずにはおかない強い魅力をもっている。某氏が懐の中へ入れて置き度い様な作品だと云ったのは、かうした凡てを語り盡した言葉である。』
と戸張弧雁が背中の痒くなるようなことを言っています。


実は、この作品のレプリカ?を持っています。
最初は誰の何の作品かわからなかったんですよね。
作りも荒いし。
樹脂製の様なのですが、何時頃の物かもわからず。
戦後に入ってから1961年に行われた西洋近代彫刻家作品展で展示されたこともあるらしいので、その頃のものかもしれません。