2014年3月22日土曜日

荻島安二 作 メダル2点


荻島安二作と思われるメダル2点です。
荻島安二は、以前にも紹介しました彫刻家でもあり、デザイナーでもあり、特に日本初のマネキン制作に尽力した作家です。

上の女性像のメダルは、 昭和13年のカメラデー懸賞寫眞賞になります。
荻島らしい、モダンで、ハイカラな女性像です。
立体を意識した造形で、ちょっと無理やりな構図のあり方が彫刻家らしく思われます。
また、この像には、どこかブランクーシを感じませんか?
当時の彼ら彫刻家の思想に共有するものがあったのでしょう。

下の張子の虎は、同じく昭和13年、第5尋常小学校の卒業記念品です。
誰が荻島安二にこれを頼んだのかわかりませんが、御洒落ですね。
そして、この可愛らしいデザイン!
 当時の子供たちが羨ましい。

2014年3月8日土曜日

ロダン作 「或る小さき影」「ロダン夫人」絵葉書


この作品は現在、大原美術館に所蔵されており、もう一点「ゴロツキの首」を含め、これら3点が白樺美術館より永久寄託された作品です。
実は、この3点が、日本に始めてもたらされたロダン作品なのです。
そして、これら作品の最初の所有者が有島生馬、志賀直哉武者小路実篤ら、白樺派の同人たちでした。
彼らは、1910年(明治43)11月の『白樺 ロダン号』にて、「ロダン第七十回誕生紀念号」とし、ロダンの特集を組みます。
この雑誌発行前に、特集号へのコメント等を求めてロダンへ手紙を出します。
その返事の中に日本の浮世絵と交換にロダンが作品を送るとあり、そのやり取りの結果、送られてきたのが、この3点なんです。
この作品が日本に送られてきた時の狂騒は、これもまた「白樺」にて柳宗悦が書いています。

「ロダンの彫刻が日本に来る-この夢のような想像がただただ現実となってきたのです。なんだかこの世の中がどうかしているような気がしました。それ以来いつ荷上げになるかとそればかり気にかかりました。」

 また、彼らは、1912年(明治45)2月、バーナード・リーチのエッチングとともに、この3点の作品の展示を行います。
この展覧会で始めてロダン作品の実物を目にした中原悌二郎は、こう書いています。

「(「ロダン夫人」像を)見て居るうちに、最早是は銅の塊ではない、生々しい一個の首である、沈痛なヒステリックな近代女性の靈そのものである.」と。

僕の所有する絵葉書は、戦前のものには違いないと思うのですが、どういった経緯で発売されたかまではわかりません。
もしかしたら白樺美術館を建てるための資金集めに販売したのかも?
「或る小さき影」が後ろ姿なのは、当局の何かしらがあったのかな?
それにしても、残り1点「ゴロツキの首」が欲しいですね~

2014年3月1日土曜日

Intermission 北原白秋と戦争

詩人北原白秋が地元の日本ライン下りを体験し、文章を残していることを知りました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/4639_15645.html
日本ライン下りは、残念なことに現在は運営されてません。
ライオン岩も駱駝岩も、木曽川に沿って走る車道から見ることができるだけです。


この北原白秋の文中にある「五色の日本ライン鳥瞰図」とは、吉田初三郎のものだと思われます。
吉田初三郎は、文化人でもあった実業家上遠野富之助の招きで犬山に来ますが、北原白秋も同様に招かれたのかもしれません。

このブログでは、戦争と芸術家の関わりについて紹介しているのですが、北原白秋もまた、芸術による戦争翼賛を行なったことで知られます。
それについて書かれた本、中野敏男著『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』を読みました。
あの戦争は、「軍部の独裁」といった簡単な理由で行われたものではないのだと、この本からそう読み取りました。
民衆がそれを欲し、芸術がそれに言葉を与え、政治はそれに沿ったのだと。
北原白秋ら芸術家らは、国家による唱歌教育に反発し、子供のための童謡を生み出します。
そんな童謡は、日本人の内的な美(郷愁観)を詠います。
つまり、彼らの反体制的活動は、国家に与えられる上からの愛国ではなく、自発的な(自由主義的な)美意識としての愛国を子供たちに根付かせます。
そして、それが民衆の望みでだったのだと。

反体制は、反戦争ではなく、国家以上に積極的な戦争翼賛になりえるという歴史の教訓ですね。

これは詩歌だけでなく、たとえば児童画教育もそうだったと言えると思います。
国家主導の児童画教育もあったのですが、現場の教育者による反発もあったようで、たとえ戦時下であっても、かなり自由な教育が行われていたようです。
そんな自由な教育として「戦時下の児童画」があります。
自発的な(自由主義的な)美意識としての愛国教育ですね。


しかし、こうした姿は「国家に押さえつけられた戦時下の悲惨な日本」というイメージからズレるからかあまり語られません。
当時の大人たちがあえての「愛国」であったのに対し、子供たちは自発的な「愛国」を植え付けられていた故に、戦後それをひっくり返されたことによる傷が「戦時下の悲惨な日本」というイメージを持たざるを得なかった理由ではないかと思います。

この『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』は、そんなイメージで隠されたリアルな戦時下の民衆を描いた本ですね。
 同じように、当時のリアルな姿を描いたケネス・ルオフ 著「紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム」もあります。
こちらは未読なので、読んでみたいです。