http://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/4639_15645.html
日本ライン下りは、残念なことに現在は運営されてません。
ライオン岩も駱駝岩も、木曽川に沿って走る車道から見ることができるだけです。
吉田初三郎は、文化人でもあった実業家上遠野富之助の招きで犬山に来ますが、北原白秋も同様に招かれたのかもしれません。
このブログでは、戦争と芸術家の関わりについて紹介しているのですが、北原白秋もまた、芸術による戦争翼賛を行なったことで知られます。
それについて書かれた本、中野敏男著『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』を読みました。
あの戦争は、「軍部の独裁」といった簡単な理由で行われたものではないのだと、この本からそう読み取りました。
民衆がそれを欲し、芸術がそれに言葉を与え、政治はそれに沿ったのだと。
北原白秋ら芸術家らは、国家による唱歌教育に反発し、子供のための童謡を生み出します。
そんな童謡は、日本人の内的な美(郷愁観)を詠います。
つまり、彼らの反体制的活動は、国家に与えられる上からの愛国ではなく、自発的な(自由主義的な)美意識としての愛国を子供たちに根付かせます。
そして、それが民衆の望みでだったのだと。
反体制は、反戦争ではなく、国家以上に積極的な戦争翼賛になりえるという歴史の教訓ですね。
これは詩歌だけでなく、たとえば児童画教育もそうだったと言えると思います。
国家主導の児童画教育もあったのですが、現場の教育者による反発もあったようで、たとえ戦時下であっても、かなり自由な教育が行われていたようです。
そんな自由な教育として「戦時下の児童画」があります。
自発的な(自由主義的な)美意識としての愛国教育ですね。
しかし、こうした姿は「国家に押さえつけられた戦時下の悲惨な日本」というイメージからズレるからかあまり語られません。
当時の大人たちがあえての「愛国」であったのに対し、子供たちは自発的な「愛国」を植え付けられていた故に、戦後それをひっくり返されたことによる傷が「戦時下の悲惨な日本」というイメージを持たざるを得なかった理由ではないかと思います。
この『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』は、そんなイメージで隠されたリアルな戦時下の民衆を描いた本ですね。
同じように、当時のリアルな姿を描いたケネス・ルオフ 著「紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム」もあります。
こちらは未読なので、読んでみたいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿