昨今、銅像問題で色々と話題が絶えません。
例えば、韓国の(所謂)慰安婦像。
そして最近では台湾において、日本人技師の八田與一像の首が切られるという事件がありました。
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/322370
さらにその後、その報復かのように蒋介石の像が破壊されています。
http://www.asahi.com/articles/ASK4Q519YK4QUHBI010.html
像の首を切るというアニミズムで、まったくの前近代的な事が行われていることも同様です。
逆に言えば、(銅)像の力というモノは、人がヒトである限り持ち得るものなのかもしれません。
公共の場における銅像の影響力は、この細分化された現代世界に追いて、これからも厄介な問題としてあり続けるでしょう。
誰かの意思が象徴され照射されるモノとして、銅像の受難は続きそうです。
さて、最初にあげた2枚の絵葉書の画像は、1910年に施工され、神戸市大倉山公園内に設置された、小倉惣次郎作の「伊藤博文」像です。
実は、この画像の像が建てられる前に、同様の像が神戸の別の地(楠公社境内)に建てられています。
その銅像もまた政治的な意図で破壊されます。
その後、場所を金星台に変え、再建されたのが画像の銅像なのです。
伊藤博文と言えば、韓国にとっては日本の国粋主義者として見られているかと思われますが、明治後期の日本における立場は、そういうものではありませんでした。
彼の推進した日露戦争の講和条約に対し、日本国民は屈辱条約と感じ、1905年には暴動が起き、内相官舎襲撃や、派出所の焼討ち等が起こります。
神戸においては、楠公社境内に設置されていた伊藤博文銅像が引き倒され、市中引廻しとなります。
銅像引き倒しの際には「手伝へ手伝へ国民なら手伝わぬかッ」と怒鳴り立てた者があったとか。
銅像が世に出てたこの頃から、すでに現代と同様の事件が、銅像の身に起きているのですね。
戦後も同様の事件が起きます。
あの、本郷新作「わだつみ」像破壊事件ですね。
1969年5月立命館大学に置かれていた像を全共闘系の学生が破壊し、首に縄をつけて引きずり回すという事件が起きます。
戦前・中派にとっては反戦のシンボルであったわだつみ像は、当時の学生にとって社会の、大学権力のシンボルとなっていたのです。
http://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=125
立命館史資料センターの、この資料は面白い!
「(像を倒して)得意げなトロツキスト(トロツキー主義者)」とあります。
トロツキストは、左派内で批判的な相手に対し用いる言葉のようなので、特定はできないようですが、当事者はたぶんまだご存命ですよね~~
レーニン像の時もフセイン像の時もそう。右も左もどんな政治的な立場であれ、人は同じことを繰り返すのでしょう。