2019年2月16日土曜日

藤井浩祐先生作品個展集 絵葉書

前回に続き、藤井浩祐です。
この「藤井浩祐先生作品個展集」の絵葉書は、藤井浩祐が個展を行った際に展示した小品を撮影し、絵葉書にしたものだと思われます。






この絵葉書にされた個展の時期は不明です。
藤井浩祐は、画廊で個展を行った最初の彫刻家と言われています。
1914(大正3)年に銀座の画廊での初個展の後も、いくつかの展示を行っていると思われ、この絵葉書の個展もその一つだと考えられます。

絵葉書にされた作品は、現在も売買されていて、ヤフオクなんかでも見かける事ができます。
この個展時が、またはその後か、結構な数が鋳造されているのでしょう。

この絵葉書の好きなところは、背景がそのまま写されているところです。
当時の彫刻の絵葉書の多くが、背景を布で隠したり、塗りつぶしたり処置しているのですが、この絵葉書は展示の風景のまま撮られています。
きっとこれらが小品だからでしょうが、その結果、身近にある彫刻と言った藤井浩祐作品が持つ軽やかさを際立たせています。

彼は人体塑像の他に、メダルや工芸作品を多く扱いましたが、そのどれにも彼の作家性が貫いています。
それは平櫛田中や石井鶴三ら、またその後の彫刻を純化しようとした作家とは異なる態度です。
これに高村光太郎も加えても良いのですが、そんな彫刻道という様なあり方を日本近代の彫刻は求めてきました。
藤井浩祐という作家は、そこから外れる作家だったのですね。
ですから、彼は日本の近代彫刻史からしたら周辺の作家として扱われます。
しかし、それはつまり欧米の作家か現代のアーティストに似た彫刻家だったと言えます。
この捩れを体現しているのが、藤井浩祐なのですね。

2019年2月10日日曜日

藤井浩祐作「第七回全国都市対抗野球大会 参加賞」メダル


藤井浩祐作「昭和8年 東京日日新聞社・大阪毎日新聞社主宰 第七回全国都市対抗野球大会 参加賞」メダルです。

昭和2年より、現在も行われています都市対抗野球大会の参加賞ですね。
優勝都市は、第一回から三回までが大連、戦争で中止となる直前の1940年に行われた第14回大会は京城府と、この大会の歴史は、日本史の縮図になっている気がします。

本当に小さなメダルですが、どこから見ても藤井浩祐らしさが溢れたメダルです。
扇子で顔を隠した女性が立ち姿で描かれています。
裸像に見えますがどうでしょう?
室内で行われる展覧会と異なり、公共に用いられるメダルに裸婦の像はあまり見かけません。
藤井浩祐の他の作品に同様の作品があればハッキリするのですが、どうも無いようです。

藤井浩祐の作品には、多くの裸婦の他に、踊り子など風俗を描いた作品があります。このメダルの作品が裸婦像であるならば、その中間の作品だと言え、興味深いです。
このメダルの姿から、モネの『着物をまとうカミーユ・モネ』のようなジャポニズムを感じます。つまり海外から見た日本という視線です。
彫刻(sculpture)という海外の文化を用いて日本を見る。
これはまさに藤井浩祐の視線のあり方だと言えないでしょうか?
そして、その視線が常に軽やかで明るい!
彼の作品を見ると、彫刻の未来を信じている藤井浩祐の姿が浮かびます。