昭和2年6月に発行された東京美術学校校友会月報、第26巻第1号です。
挿絵に森大造、星三郎の卒業制作が載っています。森大造はわかりますが、星三郎という作家については不勉強で分かりません。
堀江尚志の少女座像(大正13年)によく似た姿で、もしかしたら影響受けているのでしょうか?
こういった冊子を読んでいて面白いのは、当時を生きた人々の姿が生き生きと見えてくる事ですね。
こういうのは作品を見ていても分かりません。
例えば、この年の特待生が記載されています。
塑像部:奥田勝、中島浩、梁川剛一
木彫部:松厚正明、中野四郎
梁川剛一、中野四郎など後に名を成す彫刻家がいますね。
逆にあまり知られていない名もあるのが面白いです。
また、卒業式のスケジュールなど
『3月24日第36回卒業證書授興式を本工大講堂に於いて挙行す。
例年の如く午前10時新卒業生式場に入り着席、
鈴川教務主任より式に関する注意あり、
次で職員、卒業生、来賓の着席せらるるや、正木校長の式辞に始まり、
各科総代に卒業證書を授興。校長の告別辞、文部大臣訓辞代読、
卒業生総代(建築科大澤健吉)答辞にて式終わる。
職員及び新卒業生は本館玄関前にて記念の撮影をなす。』
卒業式って今とほとんど変わってないのね!
そして本年の入学についてですが、入学希望者が851人あり、入学試験の結果180人が選別入学を許可されたとあります。
彫刻選科塑像部は13名、文錫五という後に北朝鮮に渡った作家の名前があります。
彫刻家木彫部は6名、彫刻選科木彫部は4名です。
西洋画科特別学生に、朴魯弘、朴根鎬、李馬銅、李景湊、
何徳來、韓三鉉、吉鎭燮、金慶璡
朝鮮の作家が多いですが、何徳來は台湾の人のようです。
卒業生動静には木内五郎が陸軍歩兵少尉に任命されたとあります。
https://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/fumi/13/13-02.html
そして、その中でも面白いのこの年の入学試験の内容が書かれている事です。
彫刻科塑像部は、
①塑像 石膏マスク模作
②写生 石膏胸像(木炭画又は鉛筆画)
彫刻科木彫部は、
①木彫又は塑像 木彫は平肉手板模作(桐)
塑像は厚肉手板(鷲の首)模作
②写生 石膏胸像(木炭画又は鉛筆画)
また、筆記の試験も。
建築科の試験での英語の例
2.次の文を英訳すべし
1.ロダン(Rodin)はモデルにある姿勢を強るやうなことは決してしなかつたと云うことです。
建築科の試験での数学(平仮名は全部カタカナ表記)
1.甲端より乙端に向へる汽車が3哩を走りし中機関に故障を生じ10分間停車した。
それより早さの1/3を減少したるため定刻より1時間延着したり。
もし故障が出発後2時間にして起こりしならば(停車時間等前と同様)前の場合よりも22’5分丈早く到着したるべし´甲乙両端間の距離を求む。
等々...
他には修学旅行記や弓道、乗馬、山岳スキー部の日誌。
青春ですね。
最後に教授で美術史家大村西崖の銅像建設資金募集趣意が記されています。
この年の3月に亡くなった大村西崖の銅像製作費を募集し、1周忌に構内に建設する予定のようです。
発起人には教授である朝倉文夫、北村西望、建畠大夢、そして海野清や関野聖雲の名前があります。
で、誰が大村西崖の像を制作したかと言えば...結局朝倉文夫なんですよね~~