昭和13年に日本各地で巡回して行われた「大独逸展覧会」の絵葉書です。
昭和13年は日独伊三国同盟の2年前、ベルリンで行われた「伯林日本古美術展覧会」の前年にあたります。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2016/12/blog-post_7.html
ナチス・ドイツがミュンヘン会談でチェコスロバキアのズデーテン地方を得た年にあたり、ヒトラーの絶頂期と言えるでしょう。
ドイツの「優れた」文化と発展の経緯を広く知らしめる為に行われたこの展覧会では、地図、写真の他に絵画や彫刻も展示されたようです。
下の絵葉書は、油彩「世界大戦の於ける英国の大攻撃に対する防衛」です。
この時代に「世界大戦」と言うのは、第一次世界大戦を指します。
第一次大戦では、日本もドイツに宣戦布告し、青島等を占領します。
戦勝国に、自国の敗戦も含めた文化のを示そうというのですから、ナチスの自信は相当のものだったと想像できます。(もちろん、ナチスにとって帝政ドイツは、否定するものだったとも言えますが)
このドイツの戦争画を見るに、藤田嗣治や宮本三郎ほど巧くは無いように見えますが、緊迫感の質が違うように感じます。
根本的には日本兵の敗北を描けなかった日本の戦争画との違いでしょうか?
また彫刻関連では、時代で分けられた軍服を着たマネキンが展示されました。
第一次世界大戦時のマネキンが、どこか卑屈で、可愛そうですね...
これらのマネキンは母国から運んだドイツ製でしょうか?
それとも日本製なのでしょうか?
当時の西欧はマネキン文化の花盛り。このマネキンもかなり良くできていると思いますがいかがでしょう。
http://jamda.gr.jp/museum/01/02.htm
最後に一人の建築家を紹介します。
当時の北海道に住み、全国各地に近代建築物を建てたスイス出身の建築家
マックス・ヒンデル(Max Hinder)は、この展示の全体構成をしました。
カトリック神田教会や
カトリック松が峰教会など、現代も残り登録無形文化財にもなっている建築物が、彼の作品です。
そんなマックス・ヒンデルが、ヨーゼフ・ゲッベルス首相下の宣伝省と共に企画運営したのがこの「独逸展覧会」でした。
そして、彼は1940年というドイツがフランスに無血入城した年に、ドイツへ、あのヒトラーの山荘、ケールシュタインハウスのあるバイエルン州の学校へ赴任し、その地で亡くなります。
彼はただの一介の建築家だったのでしょうか?