2021年1月25日月曜日

ロダンの作品陳列館 絵葉書

巴里のロダン美術館は、ロダン自身がアトリエとして使用していた建物をフランス政府が買い取り、ロダンが作品を寄付することで、美術館として彼の死後1919年に開館します。
この絵葉書はその当時のロダン美術館だと思われます。


絵葉書の写真の場所は、館の正面に位置した窓のある部屋で、現在もコレクションの展示がなされていますね。
気になるのは、絵葉書ではmuséeを「陳列館」と訳している事です。
それとも絵葉書ができた当時は美術館ではなかったのでしょうか?
または、muséeを「美術館」と訳すのが一般的ではされていなかったのかもしれません。
どうでしょう??

2021年1月18日月曜日

荻島安二 作「第八回全日本女子籠球総合選手権大会 参加賞」メダル



数年前に荻島安二の「第七回全日本女子籠球総合選手権大会 参加賞」メダルを紹介しました。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2014/01/blog-post_3.html
今回は同じく荻島安二による昭和13年に行われた第八回参加賞メダルになります。

このメダルに描かれているのは、ジャンプボールかリバウンドを取り合っている姿。ゴールを中心に円形に沿って配されてい二人の女性像です。
荻島安二のメダルはお洒落でモダンな作品が多いのですが、このメダルは可愛い。
バスケという激しいスポーツからすれば、可愛くやりすぎな気もしますね。

そんな「可愛い」がどのように生じているかを考えてみると、高村光雲がロダンを未完成だと言った以上の未完成性が理由の一つだと思います。これは幼児性とも言えます。
つまり、今ではもう古い言葉ですが「ヘタウマ」なんですね。
当時の先端芸術であった抽象彫刻とは違う方向、つまり禅画や文人画、ポンチ絵や漫画に近い所で彫刻表現を行っていると感じます。
それは、荻島安二がマネキンを制作する商業デザイナーでもあった事と関係あるのでしょう。

このメダルが世に出た昭和13年は、国家総動員法が成立した年です。
時代はきな臭くなりますが、荻島安二が表現した「可愛い」は、当時のプロパガンダを利用さえし生き残ります。
それは「桃太郎 海の神兵」のようなアニメや、中原淳一の少女が描かれた慰問絵はがきだったりします。
こういった時代の中で表現された「可愛い」彫刻が、「第八回全日本女子籠球総合選手権大会 参加賞」メダルなのだと思います。
当時の官展などの大文字の美術史では見逃されますが、こういったメダルの仕事に当時すでにあった「可愛い」もとい「Kawaii」彫刻を見ることができるのですね。

2021年1月13日水曜日

第三回帝国美術院出品 甘露水 黄土水氏作 絵葉書

1921(大正10)年に行われた第三回帝国美術院出品 黄土水作「甘露水」の絵葉書です。
ようやく黄土水の作品の絵葉書を手に入れました!

黄土水は、1895年台北市艋舺生まれ。
1915(大正4)年に国語学校長隈本繁吉や総督府民政長官内田嘉吉の推薦を受け、東京美術学校彫刻科木彫部に留学します。
東京美術学校研究科を修了後、日台を往来しつつ活躍しますが、1930(昭和5)年に腹膜炎により東京池袋で35歳で病没。

黄土水の生まれた1895年は、日清戦争の下関条約によって台湾が清朝から日本に割譲された年になり、1945(昭和20)年の日本の敗戦までが統治時代の台湾になります。
統治下の台湾と大正から昭和初期の太平洋戦争が始まるまでのやや余裕のあった日本本土、そして彼の生涯は重なり合います。

当時、アジアにおいて彫刻をアカデミックに学ぶことのできる場所が東京でした。
中国や朝鮮、台湾の学生が東京に集まり、日本式西洋的「彫刻」を学びます。
しかし、戦時下の美術は現代の歴史の評価によって左右され、この日本ではあたかも無かったかのように扱われています。
中国や韓国、北朝鮮ではどうでしょう?
私の勉強不足でわからないのですが、こと台湾の黄土水に関しては、当地で近代彫刻の先駆として愛されている様です。


ただ、黄土水の美術は、日本の美術でもあります。
それは当時の台湾が日本の統治下だったからというわけではありません。
彼と彼の美術が当時の日本に影響を与えたと思うからです。
また、日本に留学した学生たちにも同様だったでしょう。
日本の近代美術史は戦時下のアジアの人々と(歴史の評価として良かれ悪しかれ)影響を与え合ってありました。
彼らを抜きに戦前の美術史は無かったと思います。

2021年1月10日日曜日

大国貞蔵? 電昌社メダル


表はハンマーを持つ女性と「DEC」「OKuni」、後ろには「電昌社」の文字のあるメダルです。
この「電昌社」ですが、国会図書館の検索で1件見つかりました。
昭和3-18年に出版された「電気事業資料 第11号 特製品紹介(第4輯)」での電灯、電力用器具の中のシールスイッチの記載を「電昌社」が行っています。
ここには「電昌社」の住所が大阪西区とあります。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1138381

大阪の業者が依頼する彫刻家で「OKuni」と言えば、大国貞蔵でしょうか?

大国貞蔵は、1890(明治23)年大阪に生れ、1916(大正5)年東京美術学校彫刻科を卒業し、1923(大正12)年の関東大震災以降は関西に活動の場を移しています。
大阪市西区の靱公園に現在も建つ銅像「勇者に栄光あれ」は大国貞蔵が極東選手権競技大会の優勝楯として制作したものの様です。
どの大会か不明ですが、もしかしたら、1923(大正12)年の大阪大会のものかもしれません。
また、かつて大阪ビルデイング玄関上部にあった「少女と鷲」も大国の作品です。

この「電昌社」のメダルがどんな目的で作られたのか不明な為、描かれた女性像の意味もよくわかりませんが、取って付けたようなハンマーの図は、このレリーフがもともと「電昌社」向けに制作されたものではないことを示しているのかもしれません。
ただ、彫刻は上手い、それにアカデミックで欧風な造形です。
大国貞蔵の作品だと言われれば納得します。
さて、真実はどうでしょうか??



2021年1月9日土曜日

羽下修三作 野本恭八郎銅像絵葉書



羽下修三は、1891(明治24)年新潟県生まれ、東京美術学校木彫科卒。卒業後昭和11から19年まで母校東京美術学校の助教授を勤め、その後帰郷して五泉市に住みます。
戦前、白川公園には羽下修三による忠犬タマ公像がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E7%8A%AC%E3%82%BF%E3%83%9E%E5%85%AC
金属回収で提出され、現在8基あるタマ公像は戦後に作られた物です。

野本恭八郎は、大正4年長岡市に現在の長岡市立中央図書館の前身となる互尊文庫を創設した人物です。
絵はがきに添えられた彼の略歴には『(明治節御制定について)初めは両院其言を以て狂に近しとせしが、晩年は則ち翁の議に服する者年に多きを加ふと云う。....今年翁七十七、遠近の其の徳に感する者、金を醵して翁の壽像を鋳て、文庫の前庭に立つ。』とあります。

野本恭八郎像は、1928(昭和3)年6月8日「長岡市明治節御制定奉祝会」によってに除幕されます。
この会は、前年の1927(昭和2)年に帝国議会両院で明治節制定の建議案が決したことにより発足したのでしょう。
というのも、野本恭八郎にとって明治節御制定は念願でした。長岡にもその同志があり、この会を作ったのだと思います。
当時、野本恭八郎は存命でしたが、彼の銅像を以て祝ったのだと思います。

2021年1月4日月曜日

日名子実三 作「第18回東京箱根間大学専門学校駅伝競走」参加賞メダル


昭和12年に行われた「第18回東京箱根間大学専門学校駅伝競走」参加賞メダルです。
かなり前ですが、第19回のバックルを紹介しましたが、同じ日名子のデザインのメダルですね。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2014/01/19.html

ただ、バックルにはない背面のデザインがなされています。
中央に鈴?でしょうか、円に沿って10人の走者が配置されています。
これは、10区を表しているのでしょう。
つまり1つのチーム全員が描かれ、タスキを繋いでいる図なんですね。
このメダルを受け取った選手は、チームの一人一人を思い出した事でしょうね。

2021年1月2日土曜日

九世市川團十郎 三十年追遠興行記念

謹賀新年 お正月ですね。
本日は昭和7年に制作されたモダンで艶やかなメダルを紹介します。


昭和7年11月、「劇聖」と言われた九代目市川團十郎三十年祭追遠興行が歌舞伎座で行われました。その記念メダルです。


紅葉狩 - 明治三十二年 - 九代目 市川 團十郎 - 五代目 尾上菊五郎

三升紋-みますもん』と言われる宗家市川家の定紋がデザインされています。
ただそれだけなのですが、美しいモダンなデザインに見えますね。
使用される三色は定式幕の黒、柿、萌黄の萌黄を黄金色に変えたものでしょうか?
このデザインを施した人は誰でしょう?
銘はありませんし、彫刻家ではないかもしれません。

九代目市川團十郎の像を制作した彫刻家と言えば、1919(大正8)年に銅像(1986年に再建)を制作した新海竹太郎。https://rekigun.net/original/travel/statue/statue-24.html
それと、朝倉文夫が1936(昭和11)年に胸像を制作しています。
https://www.taitocity.net/zaidan/asakura/exhibitions/collection/danjuro/
このメダルをデザインしたのかはわかりませんが。

さて、2021年となりました。
このブログも8年目?
なかなか思うメダルや作品に出合う事が少なくなってきた気もします。
それでもまだ見ぬメダルを求め、ゆっくりとですが進んで行くつもりです。