2021年1月13日水曜日

第三回帝国美術院出品 甘露水 黄土水氏作 絵葉書

1921(大正10)年に行われた第三回帝国美術院出品 黄土水作「甘露水」の絵葉書です。
ようやく黄土水の作品の絵葉書を手に入れました!

黄土水は、1895年台北市艋舺生まれ。
1915(大正4)年に国語学校長隈本繁吉や総督府民政長官内田嘉吉の推薦を受け、東京美術学校彫刻科木彫部に留学します。
東京美術学校研究科を修了後、日台を往来しつつ活躍しますが、1930(昭和5)年に腹膜炎により東京池袋で35歳で病没。

黄土水の生まれた1895年は、日清戦争の下関条約によって台湾が清朝から日本に割譲された年になり、1945(昭和20)年の日本の敗戦までが統治時代の台湾になります。
統治下の台湾と大正から昭和初期の太平洋戦争が始まるまでのやや余裕のあった日本本土、そして彼の生涯は重なり合います。

当時、アジアにおいて彫刻をアカデミックに学ぶことのできる場所が東京でした。
中国や朝鮮、台湾の学生が東京に集まり、日本式西洋的「彫刻」を学びます。
しかし、戦時下の美術は現代の歴史の評価によって左右され、この日本ではあたかも無かったかのように扱われています。
中国や韓国、北朝鮮ではどうでしょう?
私の勉強不足でわからないのですが、こと台湾の黄土水に関しては、当地で近代彫刻の先駆として愛されている様です。


ただ、黄土水の美術は、日本の美術でもあります。
それは当時の台湾が日本の統治下だったからというわけではありません。
彼と彼の美術が当時の日本に影響を与えたと思うからです。
また、日本に留学した学生たちにも同様だったでしょう。
日本の近代美術史は戦時下のアジアの人々と(歴史の評価として良かれ悪しかれ)影響を与え合ってありました。
彼らを抜きに戦前の美術史は無かったと思います。

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