2021年1月9日土曜日

羽下修三作 野本恭八郎銅像絵葉書



羽下修三は、1891(明治24)年新潟県生まれ、東京美術学校木彫科卒。卒業後昭和11から19年まで母校東京美術学校の助教授を勤め、その後帰郷して五泉市に住みます。
戦前、白川公園には羽下修三による忠犬タマ公像がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E7%8A%AC%E3%82%BF%E3%83%9E%E5%85%AC
金属回収で提出され、現在8基あるタマ公像は戦後に作られた物です。

野本恭八郎は、大正4年長岡市に現在の長岡市立中央図書館の前身となる互尊文庫を創設した人物です。
絵はがきに添えられた彼の略歴には『(明治節御制定について)初めは両院其言を以て狂に近しとせしが、晩年は則ち翁の議に服する者年に多きを加ふと云う。....今年翁七十七、遠近の其の徳に感する者、金を醵して翁の壽像を鋳て、文庫の前庭に立つ。』とあります。

野本恭八郎像は、1928(昭和3)年6月8日「長岡市明治節御制定奉祝会」によってに除幕されます。
この会は、前年の1927(昭和2)年に帝国議会両院で明治節制定の建議案が決したことにより発足したのでしょう。
というのも、野本恭八郎にとって明治節御制定は念願でした。長岡にもその同志があり、この会を作ったのだと思います。
当時、野本恭八郎は存命でしたが、彼の銅像を以て祝ったのだと思います。

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