以前の紹介した横山潤之助の追加情報です。
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/2014/05/intermission.html
今回は、小島逸平著「ユートピアを求めて 幻の画家 横山潤之助伝」を読みます。
小島逸平は、岐阜県各務原市で画材店を営んでいた人らしく、当時の横山潤之助と付き合いがあったようです。
この本ですが、横山の生の声が書かれており、以前は絵葉書と略歴でしか知ることの出来なかった彼の人柄にリアリティーを持つことができます。
ただ、その言葉はポエミーでなかなか読み辛い。
しかも、著者の文章もまたポエミーで、二乗されてて辛い、辛い...
その中でもぼんやりとしか書かれていなかった、東京から各務原市に移住した理由についてですが、確かに東京の大邸宅が空襲にあったからではあるようですが、それでも一文無しで各務原市に来る理由がわからない。
どうも親類一同に、財産を巻き上げられたか(維持できる能力がないと見なされたか)、または、自身から手放したか(これも精神病的な問題で)したんじゃないかと推測します。
どちらにしても、酷い話で、なんだか戦前を舞台にした昼ドラのようです。
また、その横山の病状ですが、本文にはこうあります。
「誰が悪いとかいう問題ではないですが、子供たちが親から『あの人は岐阜のキチガイ病院から来た”キチガイ”だから気をつけな!」と言われれば子供は純粋で単純ですから『ヤーイ、キチガイ、キチガイ! キチガイ病院から来たキチガイだい』といってはやしたてたのです。でも横山潤之助は何くわぬ様子で聞き流していましたが、小石を投げつけられたときには、烈火のごとく怒りをあらわにして追いかけたのです。『コラー!何をするのか!』」
あぁ、子供の頃、こういう近所のおじさんっていたなぁ~
この文章では、著者は横山を擁護していますが、実際は現実を覆わず口に出してしまう子供の見方が、事実に近かったのでしょう。
自宅を自作して全てをピンク色にしてしまうとか、それを進駐米軍にパンパンの店と間違えられて訪れられるとか、まさにアウトサイダーな生き方。
実際会ってみれば、問題のある人物だったのだろうと想像します。
ただし、その各務原時代の作品について、画集でしか見てないですが、かなり素敵。
ルノワールというか梅原龍三郎風ではありますが、どこか不穏なのです。
たんなる果物を描いた絵なのに。
素敵な理由は、これがアール・ブリュットの絵画として、観る人間を揺さぶるからです。
しかし、横山は確かな美術教育を受けていますし、デッサンも立派なもので、厳密に言えば、アール・ブリュットではありません。
ですが、その確かさの裏の、どこかどこかが不穏で、アール・ブリュットの作品を見た時と同じ感情を味わいます。
そして、それが魅力的なんですよ。
これを観ると、前衛画家時代の横山の作品は色褪せますね。
現在、横山作品は各務原市の所有となっているようです。
なんとか本物を見てみたいものです。