2023年3月20日月曜日

新潟国際アニメーション映画祭「幻魔大戦」記

本日3月20日は、1995(平成7)年に起きた地下鉄サリン事件の日。

オウム真理教の林郁夫、広瀬健一、横山真人、豊田亨、林泰男はサリンの入った袋を手にし、地下鉄に乗車します。
そこにいる人たちを殺すために。
彼らは正しい事を行おうとした。世界を救う為、ハルマゲドンを阻止するため。
今、目の前にある殺人への葛藤を超える真実があると信じようとした。

そんな彼らを生みだした空気、文化。
映画「幻魔大戦」はそれを端的に示した傑作です。
角川は、オウムへの影響を不本意としますが、例えば早川紀代秀は社会人時代に、この作品(原作)と出会っていますね。
映画「幻魔大戦」のストーリー
『宇宙の破壊者"幻魔"が地球に接近しつつあった。宇宙の意識体"フロイ"のメッセージを受け取った、トランシルバニアの王女にしてエスパーの"ルナ"は、やはり幻魔と戦っているというサイボーグ兵"ベガ"と共に地球を守る戦いを開始する。ルナは全世界のサイオニクサー(超能力者)を集め、幻魔に対抗しようと考える。そのうちのひとり、高校生の東丈は自分の能力にまったく気付いていなかったが、ベガの挑発によって超能力を開花させる。』

東丈が世界の真実(幻魔の接近)を知り、日常の見え方が変わってしまった様子。
テレパシー放送によって選ばれた「戦士」だと自覚する様。
オウム真理教の彼らも同様の経験をしたのではないでしょうか。
そして、そんな「戦士」たちが集まって幻魔と最後の戦い向かう姿を、まさに地下鉄に乗り込む自身と重ねたのではないか。

そんな気持ちを追体験するため、今日私は、新潟国際アニメーション映画祭のイベントとして行われた「幻魔大戦」の上映を観に行ってきました。

映画「幻魔大戦」は、1983年に公開されます。
原作は、平井和正、石森章太郎。
監督にりん・たろう。
キャラクターデザインと原画に大友克洋と豪華メンバーを揃え、角川の鳴り物入りで興行。
当時としては成功をおさめます。

当時、私はまだ幼く、1984年の「ゴジラ」をやっと観られる程度。
映画「幻魔大戦」は、金曜ロードショーなんかでやっていたのを覚えてます。
けど、TVサイズだし、CMでとびとびで一気見は今回が初体験。
死ぬまでに一度は劇場で観たいと思っていたので、本当に良い機会でした。

観てみれば、テンポが悪く、最終戦も盛り上がらない。
「角川の映画紹介CMが一番の傑作」と陰口叩かれるのも納得。
まだ、幸福の科学のアニメの方が、今っぽいかも。
若い子たちも観に来てましたが、飽きないかと心配になりました。

けどね、先に書いたように、この映画に自身を重ね、この世界を良くしようと、人を殺していった彼らがいたんですよ。
そして、そういう彼らの気持ちや空気が、わかってしまう世代なんです。私たちオジサンは。
そうしてこの映画を観ていると、本当につらい!!

2023年3月19日日曜日

皇紀二千六百年記念 皇軍慰問 日本民族小学生作品展覧会 絵葉書


「アンデスの高原」秘露國リマ市    インカ学園六年 比嘉秀男


北米加州 ニユウキヤツスル日本語学校七年 大上戸芳枝
布畦ホノルル市 シユドル学園八年 山本道子


「道」南洋・チャランカノア小学校高一 富山正雄
「風景」ブラヂル・コレゴアズール校七年 橋本重磨


「門」廣島市・幟町小学校 尋六 田村稔
「上海スケッチ」上海・西部日本人小学校 尋五 小竹昭人


「皇紀二千六百年記念 皇軍慰問 日本民族小学生作品展覧会」は日本力行会によって計画され、行われた展覧会のようです。

日本力行会は、1897(明治30)年、島貫兵太夫牧師によって創立。北米、中南米、東南アジア、満州などへ約3万人の移住者を送り出したと言います。
この展覧会では、現地の子供たちの絵を集め、皇紀二千六百年記念として展示したのでしょう。

この絵葉書は、久しぶりに嬉しいコレクションになりました!
今までも児童画の軍事郵便なんかを紹介してきました。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2013/04/intermission.html
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2013/04/intermission_24.html
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2018/04/blog-post.html
今回は、海外の子供たちの絵ですよ。
こういった日本人学校でも児童画教育がなされていたんですね~

お気に入りは、ペルーの「アンデスの高原」
メキシコ壁画運動の作品のようでもあり、アンリ・ルソーの素朴画のようでもあり、どこか諸星大二郎ぽくてイイね。
北川民次よりは全然、良いのではないでしょうか!
どれも作風に国柄が出ているんですよね~

幟町小学校は、
原子爆弾投下により被爆、校舎は全焼しました。
ここが選ばれているのも、なんか不思議。

2023年3月13日月曜日

1930年 東京電機株式会社 サイモトロン賞メダル


裏面には、「1930 NOV. マツダ 川崎 東京電機株式会社」とあります。

東京電気株式会社による真空管サイモトロンは、大正14年にラジオ放送が開始されるその高い品質から想像以上の注文が殺到し製作に追われる状況であったと言われています。
この分野はあまりにマニアックで専門的で、正直良くわかってませんが、このメダルができた1930(昭和10)年には、真空管ラジオの普及と共に、真空管の需要が大きくなり、それを評するメダルが作成されたのだと思います。

作者銘はナシ。
真空管に月桂冠を被せようとする天使が描かれています。
もう、その図が良いってだけで手に入れたメダルです!
なので、天使の顔が少々おっさん臭くても問題ナシ。

2023年3月6日月曜日

鈴木大介著「ネット右翼になった父」感想

 前々回「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」にからめて、鈴木大介著「ネット右翼になった父」をご紹介させて頂きました。
その時は、まだ読んでいなかったので、今回は読後の感想です。

著者は、老いていく中で右傾化していく父を、理解し合えないままにがんで失います。
そんな家族の分断を2年半をかけて検証、答えを見つけようと奮闘された記録を本とされました。

結果については、読んでいただいた方が良いのではないでしょうか。
ただ、この本の手に取った理由は、
「表現の不自由展・その後」への対応をどうすべきだったのか知りたかったからなのですが、読み進めるうちに、同時代の著者と私を重ね合わせ、自身の父親との関係(現在は破綻していますが)を思い出していく内証の旅になっていきました。

とはいえ、「表現の不自由展・その後」への対応へのヒントはあります。
例えば、
2019年に「あいちトリエンナーレのあり方検討委員会」が出された「表現の不自由展・その後」に関する調査報告書』では、全体所見として『拡大するネット環境によって社会の二極化や分断の進行が露わになるとともに、いわゆる「反知性主義」の存在が可視化されたのではないか。』とあります。
「ネット右翼になった父」の著者も自身の父がそういった存在になっていったのだろうと最初は思われたのでしょう。
しかし、2年半の検証によって異なるモノが見えてきます。

美術評論家連盟の文章『「表現の不自由展・その後」事件のその後』でも、『あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」は、歴史の真実とそれを塗り替えようとする歴史修正主義とのせめぎ合いの場でもあった。』とあります。
この「ネット右翼になった父」を読まれた方ならば、それは本当にそうだったのかと思われるのでではないでしょうか?

あいちトリエンナーレ実行委員会事務局には、合計で10,379 件の抗議、脅迫が来ました。
サリンとガソリンを撒く」や、放火予告や爆破予告、射殺するといった内容もありました。
これらを行った一人一人の心のナニかを2年半を費やしてでも検証しなければ、真に「検証」とは言えなかったのではないでしょうか。
「表現の不自由展・その後」のあの事件はあいちトリエンナーレの関係者だけで行われたわけではありません。そういった抗議者、脅迫者があってなされものです。
彼らにたいし、この著者のように寄り添うことができないというのは、美術にかかわる者、表現者のもつ傲慢さに感じるのですがいかがでしょうか?

宇都宮美術館「陽咸二展 混ざりあうカタチ」


現在、宇都宮美術館で行われています「陽咸二展 混ざりあうカタチ」に行ってきました。
これ以上のボリュームで陽咸二の展覧会を観ることは、私が死ぬまで無いと思うほど。
大満足!行って良かった。

私の陽咸二のコレクションなんて、比べ物にならない。
恥ずかしいね。
もっと頑張ろう。

昨日は、現宮城県美術館副館長でかつての「構造社」展にも関わられた、濱崎礼二氏の講演会「陽咸二の「いき」の構造」がありました。
「構造社」展に人生をちょっと変えられた身としては、拝聴せずにはいられません。

その場でご質問もさせて頂きました。
内容は、「陽咸二自身に神知学の影響がどこまであったか?」です。

神智学は、神秘主義とは一線を画し、キリスト教、仏教等々の諸宗教間の差異を超えた普遍的倫理を追求し、世界的に展開します。
その中で、カンディンスキーやモンドリアンらに影響を与えたと言われています。

日本における神智学は、明治22年に神智学協会の創始者の一人オルコット大佐が来日。
文献が翻訳され神智学ロッジが作られますが、仏教復興運動の中で忘れられます。
その後は、京都において鈴木大拙夫妻が中心となって活動がなされています。
日本の神智学は、大きなムーブメントにはなりませんでしたが、日本の新宗教、文学、芸術等に大きな影響を与えたと言われています。

陽咸二も関わっていた我楽他宗には、インドの陶芸家グルチャラン・シン、建築家アントニン・レーモンド(妻ノエミ)、ポーランドのステファン・ルビエンスキーが参加しており、彼らは同時にその「神智学」ネットワークにも所属してました。
我楽他宗はあらゆる「イズム」や「価値」を否定する志向でありましたが、こういった人物に陽咸二も交流があったのではないでしょうか?

彼の作品である「降誕の釈迦」は、私の言うところの「近代仏教臭彫刻」ですが、そのベースは西欧、キリスト教の母子像ですね。
それを摩耶夫人と釈迦の母子像に仕上げています。

その東西の混在が、陽咸二のみで生れたものではなく、「神智学」の影響があったのではないかというのが私の疑問でした。
鈴木大拙がまさにそうなのですが、「神智学」を経て、仏教の姿、焦点を合わせて、新たに仏教(禅)を構成します。
この作品もそういった姿なのではないでしょうか?
「神智学」は、いわゆる信仰対象の像は必要としなかったようですが、もし「降誕の釈迦」が「神智学」の影響下で生れたものであれば、そういった軸で評価もできるのかもしれません。
ただ、「神智学」のような考えが、当時すでに知識人の中で教養としてあったのかもしれませんので、なんとも。
そういったことは、今後の研究でわかるのかもしれませんね。
そしたら、次の「陽咸二」展が出来るのかも!