2023年3月6日月曜日

宇都宮美術館「陽咸二展 混ざりあうカタチ」


現在、宇都宮美術館で行われています「陽咸二展 混ざりあうカタチ」に行ってきました。
これ以上のボリュームで陽咸二の展覧会を観ることは、私が死ぬまで無いと思うほど。
大満足!行って良かった。

私の陽咸二のコレクションなんて、比べ物にならない。
恥ずかしいね。
もっと頑張ろう。

昨日は、現宮城県美術館副館長でかつての「構造社」展にも関わられた、濱崎礼二氏の講演会「陽咸二の「いき」の構造」がありました。
「構造社」展に人生をちょっと変えられた身としては、拝聴せずにはいられません。

その場でご質問もさせて頂きました。
内容は、「陽咸二自身に神知学の影響がどこまであったか?」です。

神智学は、神秘主義とは一線を画し、キリスト教、仏教等々の諸宗教間の差異を超えた普遍的倫理を追求し、世界的に展開します。
その中で、カンディンスキーやモンドリアンらに影響を与えたと言われています。

日本における神智学は、明治22年に神智学協会の創始者の一人オルコット大佐が来日。
文献が翻訳され神智学ロッジが作られますが、仏教復興運動の中で忘れられます。
その後は、京都において鈴木大拙夫妻が中心となって活動がなされています。
日本の神智学は、大きなムーブメントにはなりませんでしたが、日本の新宗教、文学、芸術等に大きな影響を与えたと言われています。

陽咸二も関わっていた我楽他宗には、インドの陶芸家グルチャラン・シン、建築家アントニン・レーモンド(妻ノエミ)、ポーランドのステファン・ルビエンスキーが参加しており、彼らは同時にその「神智学」ネットワークにも所属してました。
我楽他宗はあらゆる「イズム」や「価値」を否定する志向でありましたが、こういった人物に陽咸二も交流があったのではないでしょうか?

彼の作品である「降誕の釈迦」は、私の言うところの「近代仏教臭彫刻」ですが、そのベースは西欧、キリスト教の母子像ですね。
それを摩耶夫人と釈迦の母子像に仕上げています。

その東西の混在が、陽咸二のみで生れたものではなく、「神智学」の影響があったのではないかというのが私の疑問でした。
鈴木大拙がまさにそうなのですが、「神智学」を経て、仏教の姿、焦点を合わせて、新たに仏教(禅)を構成します。
この作品もそういった姿なのではないでしょうか?
「神智学」は、いわゆる信仰対象の像は必要としなかったようですが、もし「降誕の釈迦」が「神智学」の影響下で生れたものであれば、そういった軸で評価もできるのかもしれません。
ただ、「神智学」のような考えが、当時すでに知識人の中で教養としてあったのかもしれませんので、なんとも。
そういったことは、今後の研究でわかるのかもしれませんね。
そしたら、次の「陽咸二」展が出来るのかも!

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