昭和12年に大分新聞社主催による大友宗麟公銅像の除幕式記念が行われました。
銅像の作者は日名子実三。
このメダルはその除幕式を記念して制作されたものです。
建立地は大分県大分市勢家町 神宮寺浦公園。
銅像の台座には『銅像を建設し以て遺徳を顕彰すると共に永く郷党発奮の源泉たらしめん事を期す』と刻まれています。
しかし、この大友宗麟公銅像は大東亜戦争中の金属回収令によって台座のみとなります。
ただ現在は、彫刻家長谷秀雄によって再建され同地で拝むことができるようです。
戦時中は多くの銅像が回収されました。
戦後も同様に戦争に関連した銅像は取り壊され捨てられます。
そして現代もまた銅像はうち捨てられています。
以前も「銅像受難の現代」と題して書きました。
銅像という人の形を模したモニュメントは、常に破壊され、捨てられる運命なのでしょうか?
確かに諸行は無常であり、常に『遺徳を顕彰する』ことも『共に永く郷党発奮の源泉たらしめん事』も難しいのでしょう。
もしかしたら銅像とは壊されるまでが一つのセット。
失う事も含めて「銅像建立」と言うのではないか。
そんなことを思います。
建立者のどんな想いも、時代の中で解釈が変わり、新たな想いの対象として破壊される。
または良い意味でも悪い意味でも忘れ去れ、不要となる。
それが「銅像」なのではないか。
鳥の糞だらけで誰もが誰かわからない銅像。
人身御供のように倒され、燃やされ、引きずり回され、挙句に海に投げ捨てられる銅像。
人を模した銅像は、建立時と同じように捨てられる姿も一つの祭事なのです。
今でも想いを背負った人形を川に流す祭事がありますが、銅像もまたそういった呪をもったモノなのではないか。
そして、そこに銅像が銅像たる所以、役割があるのではないかと思うのです。
ですから、どんどん世にある銅像を倒してしまえば良いのでしょう。
台座さえも失って、そこに何があったか忘れて行けば良いのでしょう。
猿の惑星の自由の女神像のように、まるで山や川がただそこにあるように。
私のような好事家がちょっと思い出す...それくらいでちょうど良いのでは。