「近代仏教臭彫刻」について、なんだかんだと考え続けてますが、今日はちょっとだけ違う話題。
彫刻家による宗教家の肖像です。
それも、新興宗教。
まずは、朝倉文夫による「ひとのみち教団」の教祖、御木徳一の肖像です。
「ひとのみち教団」は現在のPLですね。
この像、欲しかったんですよ!
私は未収蔵なのですが、同型の記念メダルもあり、それによれば昭和10年に制作された肖像のようです。
昭和10年の教団は、前年に1008畳の大広間、鉄筋3階建の仮本殿を大阪に建て、これから躍進を遂げようしていました。
しかし、昭和10年は大本教の第二次大本事件があった年でもあり、巨大化する教団への弾圧厳しく、御木徳一も投獄され、昭和13年に亡くなります。
このレリーフは、教祖への礼拝に用いるものだと思われます。
レリーフの後ろには、教祖の名前の隣に朝倉文夫のサインがかなり大きくあります。
当時、すでに朝倉文夫が巨匠であり、御木徳一といえども、その威を借りたのでしょうね。
それと気になることは、朝倉文夫は御木徳一自身と直接会って、モデルとしたのかどうか?
写真等で制作することもあったので、どうだったのでしょう?
次は、畑正吉による「金光教」の教祖、白神新一郎の肖像を用いたメダルです。
このメダルは、昭和6年に新しい施設建立を記念して作られています。
造幣局製になってますから、そちらに依頼され、嘱託であった畑正吉に話が回ってきたのでしょう。
ただ、この肖像なのですが、ネットの検索で見られる教祖の姿と似ていない!
白神新一郎は、明治15年に亡くなってますからね。
ぼやけた写真など、少ない情報のみで仕上げたのかもしれません。
こういった肖像や、「近代仏教臭彫刻」もそうなのですけど、当時の信仰とアートの近さというのは、オウム以降の私たちからしたら奇異に見えますね。
とはいえ、信仰の方からしたら、真如苑や阿含宗、天理教も創価学会も美術品を買ってますし、神慈秀明会のMIHO MUSEUM、世界救世教のMOA美術館だってある。
ただ、日本のアートの方が忌避してるのですよね。
信仰とアートの関係といえば、先の「近代仏教臭彫刻」でも書きました神智学では、それに影響を受けた作家は多々あるわけで、モンドリアンやブランクーシもそう。
もっと自由で良いと思いますけどね。戦時下の記憶とオウムのショックが大きかったのかもしれませんね。
追記
近代の新興宗教の教祖像って、大本教にしても天理教にしてもあまり見ないですね。
ただ以前、ヤフオクで出口なお像が100万で出てましたが、あれは羨ましかったなぁ~
https://aucfree.com/items/r284262941幸福の科学のエルカンターレ像は、まだあまり欲しくない。
http://dailycult.blogspot.com/2014/01/blog-post_3839.html麻原彰晃の像と言えば、藤井健仁さんの鉄面皮!
https://twitter.com/fujiitakehito