2022年2月28日月曜日

ロシアのウクライナへの軍事侵略に反対します。


舟越保武 作「原の城」


舟越保武 作「ダミアンの手」

私の様な弱小ブログで何ができるか考えましたが、できる事をするしかないと思い、この表題としました。
いくつかのSNSでも言われているように、プーチンの言説は支那事変時の日本によく似ています。プーチンからしたら、ウクライナの親ロシア派を救う為の進軍であり、戦争ではなくウクライナ事変と呼ぶべきものなのでしょう。
しかし、その後の日本の歴史を見れば、戦火が拡大し、国は疲弊し、大勢の人が死にます。
その事をプーチンとロシアの人々に知って欲しい。

ただ、私はこんなブログを書きつつも「歴史に学べ」という言葉を信じていません。
「歴史に学べ」と言う人も信じてません。
人はそれほど賢かろうか?そんなに賢く生きられようか?

Twitterで、哲学者の東浩紀さんが
 第二次大戦の記憶はもう限界なのかもな。 そりゃそうだという気もする。 そしてぼくたちはまた学びなおすわけだ。 アホか。
と書かれてました。
たぶん、アホなんだろう。
そういう絶望を背負って、こうやってメダルや彫刻について、誰も読まないブログ書いたりするしかないのだろうと思います。
アウシュビッツ以降に詩は書けないと言われようと、言葉を紡いでいかなければならないように。

この戦争が終わった後、勝者はモニュメントを建てるでしょう。
それについて、私は何か言葉を発したい。
そう考えています。

2022年2月24日木曜日

玄海彫刻の岬 恋の浦 絵葉書


北村西望作「建国の雄姿」


北村西望作「平和の女神」


澤田政廣作「釈迦誕生」





1984年、福岡県福津市にオープンした「玄海彫刻の岬 恋の浦」は、野外彫刻美術館、レストランなどがあったテーマパークでしたが、バブルがはじけて2001年に閉園します。
ですので、これらの絵葉書は開園当時の姿なんですね。

現在は、「玄海国定公園・恋の浦ガーデン」として運営されています。モータースポーツに利用されているみたいですね。
ただ、レストランの建物は廃墟みたいになってます。
現在でも彫刻はポツリポツリとあるようですが、どうも上記の北村西望らの作品は見当たりません。
https://www.9navi.jp/koinoura.html
絵葉書の作品は撤去されてるみたいです。どこに行ったのか。
撤去された作品と残った作品の違いは何でしょうね......

こういったバブルの残り香は、全国各地にあるのでしょう。
メンテもされずに放置されているものも多いのではないでしょうか?
もし、お近くにこういった放置彫刻がありましたら、是非教えて下さい!

2022年2月21日月曜日

資生堂月報 寫眞藝術賞 メダル




資生堂月報は、資生堂による現在の花椿にあたる雑誌です。
「資生堂月報」名は、1924(大正13)年から始まり、1931(昭和6)年まで用いられます。
商品よりも、新しい生活スタイルを描き伝えるメディアでした。
その中で、個人による新しい表現として写真を公募していたようです。

雑誌による写真公募は、大正時代から始まりっているのですが、ここで公募された写真は所謂ファッション写真であったのかどうか、手元に当時の資生堂月報が無いため、わかりませんでした。
審査員は初代社長の福原信三でったと思われます。
彼は、写真集『巴里とセイヌ』を刊行するなどした写真家でもありました。
https://www.jp-photo.gr.jp/founder/

そんな肝いりの公募に用いられらメダルには、デフォルメされた女神が描かれています。
ただ、この作家がわかりません。
サインらしきものはあるのですが。
 当時の写真公募のメダルは、
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2014/11/blog-post.html
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2012/10/3.html
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2014/04/blog-post.html
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2012/11/blog-post_19.html

2022年2月12日土曜日

宗教者の肖像と彫刻家

「近代仏教臭彫刻」について、なんだかんだと考え続けてますが、今日はちょっとだけ違う話題。
彫刻家による宗教家の肖像です。
それも、新興宗教。

まずは、朝倉文夫による「ひとのみち教団」の教祖、御木徳一の肖像です。
「ひとのみち教団」は現在のPLですね。
この像、欲しかったんですよ!

私は未収蔵なのですが、同型の記念メダルもあり、それによれば昭和10年に制作された肖像のようです。
昭和10年の教団は、前年に1008畳の大広間、鉄筋3階建の仮本殿を大阪に建て、これから躍進を遂げようしていました。
しかし、昭和10年は大本教の第二次大本事件があった年でもあり、巨大化する教団への弾圧厳しく、御木徳一も投獄され、昭和13年に亡くなります。

このレリーフは、教祖への礼拝に用いるものだと思われます。
レリーフの後ろには、教祖の名前の隣に朝倉文夫のサインがかなり大きくあります。
当時、すでに朝倉文夫が巨匠であり、御木徳一といえども、その威を借りたのでしょうね。
それと気になることは、朝倉文夫は御木徳一自身と直接会って、モデルとしたのかどうか?
写真等で制作することもあったので、どうだったのでしょう?


次は、畑正吉による「金光教」の教祖、白神新一郎の肖像を用いたメダルです。
このメダルは、昭和6年に新しい施設建立を記念して作られています。
造幣局製になってますから、そちらに依頼され、嘱託であった畑正吉に話が回ってきたのでしょう。
ただ、この肖像なのですが、ネットの検索で見られる教祖の姿と似ていない!
白神新一郎は、明治15年に亡くなってますからね。
ぼやけた写真など、少ない情報のみで仕上げたのかもしれません。

こういった肖像や、「近代仏教臭彫刻」もそうなのですけど、当時の信仰とアートの近さというのは、オウム以降の私たちからしたら奇異に見えますね。
とはいえ、信仰の方からしたら、真如苑や阿含宗、天理教も創価学会も美術品を買ってますし、神慈秀明会のMIHO MUSEUM、世界救世教のMOA美術館だってある。
ただ、日本のアートの方が忌避してるのですよね。
信仰とアートの関係といえば、先の「近代仏教臭彫刻」でも書きました神智学では、それに影響を受けた作家は多々あるわけで、モンドリアンやブランクーシもそう。
もっと自由で良いと思いますけどね。戦時下の記憶とオウムのショックが大きかったのかもしれませんね。

追記
近代の新興宗教の教祖像って、大本教にしても天理教にしてもあまり見ないですね。
ただ以前、ヤフオクで出口なお像が100万で出てましたが、あれは羨ましかったなぁ~
https://aucfree.com/items/r284262941
幸福の科学のエルカンターレ像は、まだあまり欲しくない。
http://dailycult.blogspot.com/2014/01/blog-post_3839.html
麻原彰晃の像と言えば、藤井健仁さんの鉄面皮!
https://twitter.com/fujiitakehito

2022年2月7日月曜日

近代仏教臭彫刻 作品集

前回の記事で作品を紹介できなかったので、今回は私の絵葉書コレクションから「近代仏教臭彫刻」を載せていきます。
まずは、前回に代表的な作家として紹介しました佐々木大樹と長谷川栄作。


佐々木大樹「誕生の頃」


佐々木大樹「紫津久」


佐々木大樹「華」


長谷川栄作「施楽」


長谷川栄作「華」

これら作品がまさに「近代仏教臭彫刻」で、拝まれることを拒否した、自己の表現としての仏教をテーマとした彫刻ですね。

そして、関野聖雲と三木宗策です。


三木宗策「降誕」


関野聖雲「如来」

今回、資料を調べていて出てきた作家に「松尾朝春」がありました。
かれは明治18(1885)年生まれで、山崎朝雲門下、昭和5年に46歳で亡くなった作家です。


松尾朝春「吉祥菓」

松尾朝春「瞑想の悉達」

その他には、橋本朝秀、渡邊藤一、尾崎一草、平澤信勇......
橋本朝秀は山崎朝雲門下、渡邊藤一は佐々木大樹門下です。
師匠筋がどうのというより、やはり時代的な横のつながりで、「近代仏教臭彫刻」は生まれたのかもしれませんね。

橋本朝秀「悉地」


渡邊藤一「光洋」


尾崎一草「愛子母」


平澤信勇「慈愛」

あと、忘れてならないのは、塑像家の横江過純ですね!
彼の「仏教テーマ」の作品は最高です!

横江過純「大乗」


横江過純「浄土」


さらにさらに、この塑像路線を戦後に最大級に発揮したが、北村西望の「平和記念像」なのだと考えています。