2013年8月25日日曜日

Intermission 「風立ちぬ」 飛行機絵葉書


宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」では、ゼロ戦を生み出した堀越二郎をモデルにしてますが、その堀越による試作機、九試単座戦闘機を飛ばしたのが各務ヶ原飛行場です。
この九試単戦が243ノットをはじき出したことに、士官たちは「各務ヶ原は空気の密度が小さいのだろう」と疑ったという逸話があるのだそうだ。

そんな各務ヶ原飛行場での練習飛行を撮ったのが、この絵葉書「各務ヶ原航空第一大隊 高等飛行(横辷り)」です。
機体ははっきりわかりませんが、日本初の国産量産機陸軍制式機「乙式一型偵察機」サムルソン2A-2型機ではないかと思われます。
川崎造船飛行機部において300機ほど生産されたという名機ですね。

「風立ちぬ」でのワンシーンのような飛びっぷりですね。

2013年8月16日金曜日

日名子実三 作 「ラジオ体操指導者講習会之章」メダル

直径2.3cm。
原型作成者は、日名子実三です。

ラジオ体操は昭和3年より開始されます。
この頃のものだと思われますが、いつまで使用していたかは不明です。
元々は、アメリカで行われていたラジオ体操から着想を得て、天皇の御大典記念事業の一環として放送を開始したのだそうだ。
ラジオ体操は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の表れの一つでしょうね。

僕の子供の頃は、毎日ラジオ体操があったのだけど、今はそうでもないらしい。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とまでは思いませんが、でも毎日無いっていうことに残念な気持ちもありますね。
頑張ってハンコ貰ったものなんだけどな。

ただ、この日名子の作品はあまりにも健全な姿すぎて、逆に不自然な感じを受けます。
正しいことを正しそうに言う国家や企業や人の言葉は心地よいけど危険です。
そういう作品を裏表無く制作できたのが日名子の強みだったのかもしれません。

2013年8月14日水曜日

日名子実三 作 「支那事変従軍記章」

敗戦の日が近くなりましたので、今日はこんな話題で。

これは、日本んで一番多く制作された日名子実三原型のメダルだと思います。
この「支那事変従軍記章」は、名前の通り「支那事変(日中戦争)」に関わった軍人及び民間人に、これを顕彰するために制作されたものです。
挙国一致の当時において、戦争に関わらない人などいなかったわけで、その為に数多く制作され、希少価値はまったくないこのメダル。


中央には八咫烏が配されています。
日名子は、現在も使用されているサッカーのJFAのシンボルマークである八咫烏をデザインをした人物でもあり、この八咫烏のモチーフは神武天皇と共に多く使用しています。
 
日名子実三 作 「創立四十周年記念軍人傷痍会」メダル



日名子実三 作 「第13回水上競技会 東京市連合青年団 」メダル

しかし、「支那事変従軍記章」のメダルの八咫烏は、その特徴である三本足ではない。なぜか。
日名子の原型では三本足だったのですが、どうやら軍の関係者からのクレームで二本足に変えられたのだそうです。

不具だと思われたのでしょうか?

ドイツで行われた「退廃芸術展」 はエルンスト・バルラハなどの近代美術を『ロンブローゾのいう「生来的犯罪人」同様、原始からの隔世遺伝的な退廃に冒され、身体的・精神的な異常を抱えていると断言』し、それらをまとめ破棄します。
この考えは日本にも渡り、例えば山下清における式場隆三郎の態度の変化などに見られるような影響を受けることとなります。
日本は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と、そんな「正しい」姿を国是とするようになるわけです。

その結果、日本の本来持つ歴史、三本足を持つ八咫烏の姿が不具だと変えられます。
それは歴史の湾曲、 歴史を重視したはずの当時において本末転倒が起きたわけです。
そして、そのおかしな(2本しかないという意味で不具の)シンボルをメダルにし、そして
「支那事変(日中戦争)」に関わった多くに人に手渡されたのです。

 支那との戦争を「事変」と呼んだように、当時の人たちもそれを「おかしいな」「変だな」と感じることはあったようですが、それを誰も止めることができない、それが「戦争」という日常であり、それを表現するものが、この小さなメダルなのだと思っています。

2013年8月4日日曜日

探してます。

彫刻家 日名子実三が、アトリエ社から「アトリエ叢書 彫刻の第一歩」という本を出したらしい。
そのことを、他のアトリエ社の本に記載されていたのだけど、国会図書館のサイトでも、日本の古本屋サイトでも見つけられない。
情報求む!