2022年11月28日月曜日

昭和10年 全鮮工業者大会記念 釜山大橋(影島大橋)文鎮





昭和10年11月17~18に於金山(?)にて行われた全鮮工業者大会記念の記念品です。
モチーフは前年に完成した釜山大橋(影島大橋)と思われます。
釜山大橋は船を通すために跳ね上がる当時の朝鮮唯一の跳開橋であり、「釜山名物」と称されたそうです。
当時の大事業だったのでしょう。そのために、この橋をモチーフにしたと考えられます。
戦後は老朽化の為、橋の撤去も考えられますが、2006年に釜山広域市指定文化財第56号に指定され、2013年に復元工事を終えています。
大切にされているのですね。

建築物をモチーフとしたこうした記念品は、その目的が建築物の建立やオープンの記念であればよくあるものです。
ですが、建築のような人工物を模したものは、モデルであって彫刻とはみなされません。
例えば、法隆寺やサグラダ・ファミリアを絵で描けば作品とみなされますが、そのままミニサイズの彫刻にしても作品ではないのですよね。
そういうバイアスがあるわけです。
ある意味、二次創作とみなすからでしょうか。
ジェフ・クーンズのバルーンの作品みたいにアイロニーを被せれば作品になるのでしょうが。
そうは言っても、二次創作であっても、それを造った作家がある以上、彫刻ではないと切り捨てるのはもったいないと思うのです。
このブログではそういった作品も少しづつ紹介できればと思っています。

2022年11月20日日曜日

東京パック? 雑誌の切り抜きから

戦前の雑誌の切り抜きより、彫刻家の記事です。
当時はアイドル味の強い扱いだったんですよね。


「帝展審査委員長小倉右一郎のアトリエで、新に求たモデルに依り彫刻中の女性の座像である。」



「日名子実三氏(構造社)高石選手の像」



「朝倉文夫氏のアトリエにおける新進作家が大汗の光景です
右から堀江尚志。久保田吉太郎、松田尚之、安藤照、泉谷善一郎、小室達氏及びその作品です。」


「佐藤朝山氏の「木花咲耶姫」(院展)」


「藤井浩祐氏の「浴泉」院展」



左「朝倉文夫氏のアトリエ」
右「堀進二氏(帝展)土肥博士の像」


「彫刻特選「大空に」の作者安藤照氏とそのモデル」

「大洋を前にして 大國貞蔵氏作」
 この「大洋を前にして」は当局からの指摘(忌諱)で作者自身が「『それならかうしましせう』以外に軽く同意して、ポケットからとり出した鑿で、ゴリゴリ股間を削りとってしまった」そうです。

「朝倉文夫氏のアトリエ」のガリガリでボサボサ頭は堀江尚志でしょうか?
貴重な写真ですね。
それと、そのアトリエで仕事する女性作家は、仕事着でなく浴衣なんですね。この人誰でしょう?

安藤照の写真にあるように、モデルの特定できるのが良いですね。
こういう資料って、私的にはすごく貴重ですので。

2022年11月1日火曜日

新潟市立美術館にてコレクション展 開催中!

 現在、新潟市立美術館にて開催中の『コレクション展Ⅲ 新収蔵品から/彫刻の回廊』展に於いて、〈中野克俊コレクション〉と銘して、私のコレクションを展示頂いております。

このブログで紹介しました畑正吉や日名子によるメダルやレリーフ等々をご覧いただけます。
是非、新潟市立美術館にお越しいただき、ご観覧下さい!

2022年10月28日(金)から2023年01月29日(日)まで
http://www.ncam.jp/exhibition/6732/

2022年11月29日(火)からは、
『リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと』展が行われ、
松本喜三郎や安本亀八、平櫛田中から、小谷元彦、中谷ミチコ等々の作品が展示されます。
彫刻ファン必見です。

2022年9月12日月曜日

1913年6月版 THE・STUDIO An Illustrated Magazine of Fine & Applied Art





THE・STUDIO An Illustrated Magazine of Fine & Applied Art」とは、1893年にイギリスで創刊されたの月刊美術雑誌です。
副題に「美術・応用美術の絵入り雑誌」と強調しているように、アール・ヌーヴォー等による応用美術の紹介に力を注ぎ、イギリスはじめヨーロッパ中の建築家、デザイナーに多大な影響を与えます。
日本でも、夏目漱石が定期購入していたり、高村光太郎が初めてロダンの作品「考える人」と接したのもこの雑誌からでした。

そして、1913(大正2)年6月14日版に、上記の日本(当時の)現代彫刻を紹介した記事が載ります。
記事を書いたのは原田治郎。
この6月版の原田治郎の記事では「MODERN TENDENCIES IN JAPANESE SCULPTURE(日本彫刻の現代的傾向)」と題して、当代の彫刻家が紹介されます。
とはいえ、日本の現代彫刻の事など全く知らないであろう読者の為に、仏像等の古代からの彫刻(私としては「彫刻」という言葉ができる前に存在した造形物を「彫刻」というのに違和感あるのですが)の紹介から始めます。

図像が紹介された作家は以下の通り
米原雲海「SERENITY」(木彫)
山崎朝雲「GUARDIAN GODDESS OF CHIKUBUSHIMA」(木彫)
山崎朝雲「THE SACRED COW」(木彫)
太田南海「A COOL BREEZE」(木彫)
吉田芳明「KASHO, A DISCIPLE OFT THE BUDDHA」(木彫)
内藤伸「A GIRL OF THE FUJIWARA PERIOD」(木彫)
新海竹太郎「SAKYUMEI(A CHINESE HISTORIAN)」(木彫)
新海竹太郎「THE ANNIVERSARY OF THE VICTORY」(木彫)
池田勇八「GOATS」(塑像)
小倉右一郎「ON THE VERGE OF AGE」(塑像)
北村正信「A RUSTIC」(塑像)
朝倉文夫「YOUTH」(塑像)
朝倉文夫「MY FATHER」(塑像)
朝倉文夫「MY MOTHER」(塑像)
建畠大夢「ON THE BEACH」(塑像)
北村四海「PRAYING FOR HELP」(大理石)

官展系作家が多いですね。
高村光雲等の第一世代が無く、また平櫛田中ら院展のみの作家もありません。
萩原守衛も光太郎もありません。
朝倉文夫が3点あって、北村西望が無いのは政治か趣味か.....

そして、記事の最後には日本の彫刻がまだ西洋に追い付いていない事を認め、ロダンの作品にある高貴さが足りないと評します。
「In on relation to the Infinite and Eternal they come nearest to understanding each other.
Unless it be in the struggle towards the solution of these problems and in their sincere attitude towards the sacred relation, they cannnot possibly hope to understand the fundamental differences of the East and the West, and thus achieve the perfect harmony-station of the two.」

原田治郎は、欧米と日本が、その違いを理解しながら調和すること。
これを「彫刻」に望んでいたようです。

2022年8月16日火曜日

宗教と彫刻

昨今の旧統一教会問題で思うのは、反共産主義運動というのは戦前から根深くあり、たとえそれが時代に沿わなくなったとしても、その根を断つのは生半可では難しかろうと言うことです。
信仰が社会運動と結びつく時、その力は社会を超えてしまう危険があります。
その有り様こそが宗教ですからね。

そういった信仰が社会運動と大きく結びつき、社会現象化された時代が、時明治後半、大正から昭和初期にかけてでした。
江戸時代までの古い信仰の在り方が、西洋化、科学化によって急激に変わり、近代化された信仰の時代となります。
この時代の特徴は、職業宗教家ではない、在野の人物によって信仰が語られることにあります。その背景には、彼らの教養主義、人格主義がありました。

教養主義、人格主義は当時の美術(彫刻)とも結びつきます。
そうして、信仰とも結びつくわけです。

「美術(彫刻)」⇔「教養主義、人格主義」⇔「信仰」

信仰と美術(彫刻)については、このブログの裏テーマであり、何度も言及してきました。
明治大正/異端の科学 奇なるものへの挑戦
芸術の終末と宗教
荻野真「孔雀王」と岡倉天心の美術
煩悶青年のテロと彫刻家
仏教と彫刻
宗教者の肖像と彫刻家」......

その前提である、「教養主義、人格主義」について、もう少し考えることで信仰と美術(彫刻)についての考察も深まるのではないかと考えています。

まず、美術の側から見て「教養主義、人格主義」の代表と言えば「白樺派」ですかね。
彼らのロダンへの態度は、まさに「ロダン信仰」と言えるものだと思います。ゴッホへもそう。
「教養主義、人格主義」が当時の信仰、大本や天理教、岡田式静座法等の民間信仰も含めたもののベースとなっていると考えれば、「ロダン信仰」もまた、そういった宗教の一つなのだと言えるのかもしれません。

そう考えれば、その信仰もまた、旧統一教会の反共産主義運動のように、現在まで続く根を張っているようにも見えてきます。
このブログでは、そういった物を日の下に引っ張り出してしてみたいのです。

2022年8月15日月曜日

終戦の日・戦時下の絵

8月15日となりました。
本日紹介するのは、戦争下で描かれた子供の姿です。






服装から海兵団なのでしょうか?
少年兵?
であれば、港から立つ兵隊を見送っている図なのでしょう。
その兵隊はどこに送られるのでしょうか?
可愛らしい姿でありながら、背景を考えると悲痛な作品です......

今、この瞬間にもこうして戦場に送られる兵隊と、見送る子供たちがいるわけです。
戦後77年とは言えど、古びないモチーフであることが、悲しいですね。

2022年8月1日月曜日

日本美術院第10回展覧会出品 石井鶴三作「こども」絵葉書

大正12(1923)年に行われた日本美術院第10回展覧会。
そこで展示された石井鶴三作「こども」の絵葉書です。



この絵葉書と一緒にあるのが、新潟県三条市の彫刻家で日本美術院院友の半藤政衛による石井鶴三の略歴等を書いた便箋です。
この文章によると、石井鶴三作「こども」は、大正12年9月1日の関東大震災時に展示され、ほとんどの作品が破壊された中、無事だったそうです。
そして、今回「堀川社長」に譲られることとなり、半藤政衛による略歴と、日本美術院同人松原松造による箱書き、そしてこの絵葉書が合わせて渡されました。

半藤政衛は、石井鶴三に教えを受けた作家のようですね。
三条市にある松尾与十郎銅像
三条市立図書館にある良寛像
道の駅 燕三条地場産センター横にある「創」
こちらが、半藤政衛の公共の場所で見られる作品になります。

日本美術院展と当時の官展。
特に彫刻に於いては、月と太陽というイメージがあります。
院展にはどこか垢抜けなさがあるのですね。
そのイメージを作っているのが平櫛田中や佐藤朝山でなく、私にとっては石井鶴三なんです。
この「こども」もそうなんですが、どこかに「ネクラ」さを感じさせる。
良い悪いでなく、石井鶴三という作家は根元的な貧相さを抱えていると思いませんか?
1938年の「猫」という作品があるのですが、これが威嚇しているガリガリの痩せた猫なんです。朝倉文夫の良いもの食ってそうな猫が描けない。

漫画で言えば、白土三平とかつげ義春とかのガロっぽさがあって、それを半藤政衛の略歴にあるように「内面的な自然観照にもとづ」いた作品と評している。

そういった根元的アングラ作家が東京美術学校で教えていたというのは、面白く思うんです。
戦後日本を蹂躙した抽象彫刻の持つ「ネアカ」さに耐えられなかっただろうな~と。

2022年7月25日月曜日

日本共産党50周年記念 中村竹男作「片山潜像」レリーフ



こちらは日本共産党50周年記念として制作された社会主義者「片山潜」のレリーフです。
日本共産党50周年は、1972年。
戦後の作品なので、私の嗜好の範疇外なのですが、先日からの左派系作品の流れで紹介いたします!
ちなみに、今月の15日は、日本共産党100周年でした。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-07-15/2022071503_01_0.html
「片山潜」についてはWikiを参照
アメリカ共産党の創立関わった日本人として興味深いですね。
遺骨はクララ・ツェトキンなど共産主義運動の最高指導者とともにクレムリンの壁に葬られている大物です。

そして、そのレリーフを制作したのが、彫刻家中村竹男。
ありがたいことに、略歴が付属されていました。

これによると、大正5年、長野県上伊那郡生まれ。
同郷の画家中村紀元を頼り、吉田白嶺の私塾に入った様です。
先輩には中村直人がいますね。
しかし、美術院でなく、二科会に出品。入選を果たしています。
戦後は二紀会。
そして、昭和29年には『原水爆禁止署名を訴える少女』像を世界民生連訪日代表団に送り、昭和30年には、広島で行われた日本平和美術展に『平和と友情』を出品しています。
共産党員だったのでしょうね。

ただ、作品名からしてもあまり直接的なプロレタリア美術的では無く、平和を求める精神性を重んじた作風であったのだろうと思われます。

それにしても、信州という地は不思議な場所ですね。
こういった人物が生まれる土壌のある地に思います。
浅間山荘で一つの時代が区切られたのも、必然に感じさえします。

2022年7月18日月曜日

プロレタリア美術 かざり盆

昨日、紹介した絵葉書にもありました、プロレタリア美術の工藝品です。
絵葉書と同様、こちらもお盆に労働者が描かれています。




銘に「欽哉」とありますが、作者はわかりません。
漆塗りの既成のお盆に彫刻を施した物のようです。
労働する三人の男が描かれてますが、何の仕事なのかもよくわかりません!
工場内で何かの機械を動かしている事だけわかります。
製鉄??
うまくはないのですけど、構図と筋肉と男のデフォルメから、異様な迫力は感じられます。
これは当の労働者でしか描けない物でしょう。

このお盆が、プロ展の出品作なのかはわかりません。
戦時下で、労働者に美術製作を学ばせたそれかもしれません。
どこかで資料と出会えることを楽しみにしています。

2022年7月17日日曜日

第4回プロ展 絵葉書

昭和6(1931)年に行われた「第4回プロ展」。
紹介するのは、この展覧会で日本プロレタリア美術家同盟が発行した絵葉書です。

こういった資料でしか、プロレタリア美術の、特に彫刻作品は観ることができないので、ありがたい。
今日はいい日だ。

白石寛「召集」、長谷川三造「ストライキへ!」

川越治武「武器」
この3作品は、素晴らしいですね!
生々しさを感じます。
群像の「ストライキへ!」は、写真の陰影のせいもあってかジョージ・シーガルのよう。
川越治武の「武器」も、同時代の官展系彫刻家には無い、緊張感があります。
当時の空気を彫刻に込められている気がします。
しかし、やっぱり、彫刻はプロレタリア美術には合わないですね。
それは、制作におけるカロリーの高さが、時代のスピードに追い付けないからなのでしょうね。

工藝「お盆、灰皿、玩具」
こういうのも出品されていたんですね。
プロレタリア美術としての「玩具」というありかたは、面白いです。
ユーモアある彫刻になってます。


室順治「萬国の労働者団結せよ!」
新井光子「農村少年のデモ」
矢部友衛「凱歌」

小山英治「傷害に対する戦ひ」
寄本司麟「ソビエート同盟の話」
大月源二「青年獲得を主題せるコンポジション」

石井良一「美術を愛好する同志よ仲間を作れ!」
須山圭計一「共同作業」

松山文雄「最后の手段(独逸)-「対立」-A」
やはり、イメージを具体的に伝えるには漫画は強いですね。
群像で物語る力は絵画の魅力ですが、こうしてみると彫刻もなかなかやるな、と思いました。プロレタリア美術における彫刻の魅力を見くびっていたのでしょうね。
反省です。
あとは、現物が観れれば......

絵葉書はまだありますので、時機を見て紹介します。

2022年6月13日月曜日

庵野秀明と高村光太郎

観てきました。「シン・ウルトラマン」!
傑作ですね~。面白かったです。
私はウルトラマンを直接観ていた世代でありませんが、怪獣図鑑と怪獣消しゴム人形を片時も手放さなっかった幼児でした。
怪獣もとい「禍威獣」の出番は少なかったですが、それでも「ウルトラマン」を堪能できて大満足でした。

さて、「シン・ウルトラマン」の脚本と編集は庵野秀明。
私が庵野監督を知ったのは「南の海のナディア」だったと思います。
Vガンのシャクティなみにイライラさせるヒロインで、湾岸戦争の煽りをうけての延期の中、面白いのかどうかわからないまま見続けて、ラストのレッドノアとの決戦のみで納得と感動させられるようなアニメでしたね......
当時のアニメ雑誌には、ナディアのどこにどんなパロディーがあるか説明がなされていました。
パロディーまたは二次創作の作家、それが庵野秀明のイメージでした。

「新世紀エヴァンゲリオン」では、パロディー作家庵野監督の持つ「オリジナル」への欲望、「オリジナル」でありたいという欲求そのものがテーマであったのではと思います。
パロディーとは、神話を脱構築するもので、神話の外にあります。
パロディーを描くものは、高みから物語を見下げ、神話を信じることができない呪いを受けます。
その苦しみを庵野監督は描いてきたのだと思います。
「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」らの神話を、その原作者のように信じて描くことができない......そんな呪いと苦しみです。

私は戦前の人物で、同じような呪いと苦しみを受けていた作家を知っています。
それが高村光太郎です。
高村光太郎は、光雲ら維新後作家の第二世代であり、西洋のsculptureを直接体験できた新世代でした。
高村光太郎は日本の「彫刻」をオリジナルさえ無いコピーであることを知っていました。
日本人である限り、その循環から自分が逃れられない事も知っていました。
その苦しみを超克するために戦争を望んだとも言えるでしょう。

「オリジナル」でありたいと願い、無知である(ように見える)父と、神話に添い遂げる荻原碌山を愛しながらも自身はその外側にあって、「詩」によって自身がパロディーであることを打ち消そうと苦しんだ彫刻家、それが高村光太郎です。
私からすれば、智恵子も「緑の太陽」に感動した学生たちも、吉本隆明を含め戦争詩で自身を鼓舞した若い兵士たちも、彼の呪いの犠牲であったと思います。

ゆえに、高村光太郎の木彫への回帰も父光雲と伝統的「日本」へのパロディーでしかありません。
「蝉」も「柘榴」もそういう作品です。

庵野監督の「トップをねらえ」や「南の海のナディア」もまた、そういった作品でしたが、「新世紀エヴァンゲリオン」でその呪いと向き合います。
先の「シン・エヴァンゲリオン」で、10年かかってやっと監督の答えが出たようですが、高村光太郎は答えを出さず引退し、引きこもり、シャーのように「ララァ・スンは私の母になってくれたかもしれなかった女性だ」と母胎回帰まるだしの作品をつくるのみ。

しかし「シン・ウルトラマン」です。
庵野秀明は神話の外にいる者だった。けれど親しい友人達と「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」の話をワイワイガヤガヤ楽しくしてる間は神話の内側に入れたのではないでしょうか?
そう、樋口真嗣監督があって初めて、庵野秀明の苦しみが解放されたのではないのか。
そう思わせる映画が「シン・ウルトラマン」でした。

高村光太郎も「詩」ではなく、誰かとの会話の中にあれば、救われたのではないかと思ってしまいます。

2022年6月5日日曜日

北村西望 作 朝日新聞社健康児童賞牌


昭和5年の端午の節句、朝日新聞社主催の「健康児童賞」のレリーフです。
サイン等はありません。ただ翌年も同じ顕彰が行われ、そのメダルを北村西望が制作しています。
こちらが昭和6年のメダルです。
どちらも「桃太郎」をモチーフにしています。
作品の作風からして、昭和5年の賞牌も北村西望によるものと思われます。
面白いのは、この昭和5年の賞牌は鏡面になっているのですね。
凸凹もおなじく逆転しています。
メダルの制作過程で、石膏原型から電気鋳造で凹型をつくりますが、それとは素材が異なる気がします。
なんなのでしょう?
とりあえず、画像操作で反転してみました。


これで文字が読めますね。
更に、諧調を反転すれば、原型の姿が拝めます。

こんな感じだったのでしょうね。

それにしても「桃太郎」というのは、なんて北村西望に合うのでしょう。
勝手なイメージなのですが、どちらも「邪気の無い正義感」を感じるのですよ。
皆さんはどうですか?

さて、最後に戦前の「桃太郎」と現代の「桃太郎」の映像を紹介します。
端午の節句とは元服、つまり成人を祝うお祭りでした。
そのイメージに使われる「桃太郎」とは、子供の姿でありながら、あるべき「成人」像、つまり大人の見本であったはずです。
現代の私たちは「桃太郎」によって、どんな大人像を子供に与えようとしているのでしょう?