2021年6月21日月曜日

北村西望作「怒涛」絵葉書




1915(大正4)年に行われた第9回文展出品作、北村西望の「怒涛」絵葉書です。
 文部省買い上げとなる西望の出世作ですね。

最初の絵葉書は手彩色です。
どうやら持ち主が水彩で塗ったようですね。
青色で塗ってありますが、実際は石膏に濃緑で彩色されていました。
この彩色された石膏像は国立近代美術館に所蔵されており、先日の『コレクションによる小企画 男性彫刻』展で展示されましたね。

官展での石膏像の展示は初期からみられるものですが、彩色はいつ頃から始まったのでしょうか?
当時の彫刻家は、銅像色に彩色するための研究も行っていたようですね。
ただ、院展系の作家が行う木彫の彩色を否定する考えも当時からあったようで、彫刻の彩色問題は調べると面白そうです。

2枚目の絵葉書は、この「怒涛」への感想のようです。
「何とブリリと張り切った豊肉だろう―
 緑色の〇(棈?)の力の溢る〇過ぎし〇肉塊」
合ってますか??
ところどころ読めないので言葉の意味はよくわかりませんが、とにかく男の肉体への愛は伝わります。
ちんこも彫刻にあるような曖昧もっこりでなく描いてますし。

2021年6月17日木曜日

雨田禎之?「第25回明治大学陸上大運動会」メダル





1932(昭和7)年に行われた「第25回明治大学陸上大運動会」のメダルです。
雨田禎之作との事ですが、サインがよくわからないですね~

雨田光平(禎之)は、1911(明治44)年に東京美術学校の彫塑部彫刻科へ入学。
卒業後に渡米し、ここでハープを学び始め、さらにフランスへ渡り、日名子実三と出会います。
帰国後に構造社に参加し、彫刻家として活動します。

彼の2番目の妻は、我楽多宗開祖三田平凡寺の次女です。
その我楽多宗を紹介する展覧会が、今年の初めに多摩美で行われていました。
https://www2.tamabi.ac.jp/iaa/garakutashu_iaa_exhibition/

この展覧会を、夏目漱石と三田平凡寺の孫にあたる夏目房之介氏が紹介されていましたね。
雨田光平と三田平凡寺、そして雨田の義理の甥である夏目房之介氏の関係はこんな感じです。

        雨田光平(禎之)
         |
三田平凡寺―――次女 伊登
        末女 嘉米子
         |―――――夏目房之介
夏目漱石 ―――長男 純一

さて、メダルに話を戻します。
このメダルが雨田光平のものとすれば、1932(昭和7)年は帰国して3年後、若き彫刻家として活躍していた時期です。
翌年には帝展彫刻部門無審査となります。

描かれたのは、剣を握り二人の男を組み伏す荒神の姿です。
円形に三人(柱?)入れて、さらに動きもあって、この造形の上手さは流石ですね。
ただ、いつもの通り、この神話がなんなのかわかりません。
まったく勉強不足で申し訳ない!

2021年6月7日月曜日

斎藤素巌作「帝都復興記念碑」レリーフ




大正12(1923)年に起きた関東大震災からの帝都復興事業を記念して、昭和5(1930)年に帝都復興祭が行われます。
このレリーフの背面に「帝都復興記念碑」とあり、これを記念して製作されたものだと思われます。
かなりの薄い浮彫なので、実際はもっと大きなレリーフ状の記念碑として製作され、その縮小版なのかもしれません。

三連祭壇の形状からわかるように、斎藤素巌はこのレリーフを宗教画として描いたと考えられます。
その為、復興からの再生が描かれているのだと思うのですが…そのストーリーがよくわかりません。
右側は震災難民しょうか。左には彼らに寄り添う豊穣の女神(災害から実りをもたらした大宜都比売神?)が描かれているように思います。
では、中心の三人の男は何を示しているのでしょう?
真ん中の男は斎藤素巌による第六回明治神宮体育大会メダルと同じような構図ですね。
左に鍬を持つ男が描かれていることから、復興を成し遂げた労働者の姿ではないかと思います。
(そこに女性の姿がないのは現代のフェミニズム的に問題ですね…)
当時の人たちであればこの物語が読み解けるのでしょうか?