2016年4月30日土曜日

Intermission 堀江邑一 共産党より参院選立候補葉書

今日の痕跡本です。
森宏一訳「ドイツ・イデオロギー(昭和21年発行)」に挟まっていた葉書。


マルクス経済学の学者、堀江邑一は、1947(昭和22)年に、共産党より第一回参院選立候しました。
その時の支援願いの葉書のようです。

Wikiには、「終戦程なくして日本共産党に入党、1947年の参院選で全国区(同党公認)から出馬するも当選には至らなかった。
サンフランシスコ講和条約締結直前の1950年9月4日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命により、他の共産党幹部とともに占領政策違反で逮捕される。
その一方で日ソ親善活動にも尽力し、日ソ図書館長や日ソ学園理事長などを歴任。
日ソ国交回復から20年が経過した1976年、山本薩夫らと日ソ平和条約締結促進のアピールを出したことでも知られる。」とあります。

終戦直後、徳田球一書記長下の、戸宮本・不破体制前の共産党で、戦時も反戦を貫いた徒として勢いづき始めた時期ですね。
この選挙では4議席を獲得しています。

だけど、葉書にある「正しい科学的判断」「反動勢力の陰謀」に泣けてきます。



2016年4月24日日曜日

岐阜県博物館 マイミュージアム「 メダル・コレクション ~戦前・戦中の彫刻家たち~ 」チラシが完成しました!!

以前、このブログでも紹介しました私のコレクション展のお知らせです。
チラシが完成しました。



東海のいくつかの美術館などに配布予定です。
もし、ご希望の方がありましたら連絡ください。

2016年4月19日火曜日

Intermission NAKAGAWARA?画廊? 絵はがき

最近、Intermissionばかりなのは、こうやって書いている裏側では、展覧会のための資料やなんかでメダルや絵はがきを嫌というほど触れているから...

そういうわけで、今回の絵はがきは謎の展覧会場の写真です。



左下にエンボスで「NAKAGAWARA」とありますが、それ以外は不明。
裏側も真っ白。
この二人がどういった人物なのかもわかりません。

写真を加工したのがこちら


さらに人物をズーム


展示されているのは、洋画のようですが、内容は日本の風景でしょうか?
絵画の前に柵が設けてありますね。
ここから何か辿れるかもしれません。

画廊の先駆けといえば、高村光太郎の「琅玕洞」です。
ヒウザン会とパンの会より
「私が神田の小川町に琅玕洞(ろうかんどう)と言うギャラリーを開いたのもその頃のことで、家賃は三十円位、緑色の鮮かな壁紙を貼はり、洋画や彫刻や工芸品を陳列したのであるが、一種の権威を持って、陳列品は総て私の見識によって充分に吟味したもののみであった。
 店番は私の弟に任し切りであったが、店で一番よく売れたのは、当時の文壇、画壇諸名家の短冊で、一枚一円で飛ぶような売れ行きであった。これは総て私たちの飲み代となった。
 私はこの琅玕洞で気に入った画家の個展を屡しばしば開催した。(勿論手数料も会場費も取らず、売り上げの総ては作家に進呈した。)中でも評判のよかったのは岸田劉生、柳敬助、正宗得三郎、津田青楓諸氏の個展であった。」

おぼっちゃんの光太郎が商売などできるわけなく、すぐに終わった琅玕洞ですが、光太郎の小品が世に出て現在まで残っているのは、この店のおかげだとも言えますね。

というわけで、今回は現在は何もわかっていない絵はがきでした。
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