2014年9月20日土曜日
齋藤素巌 原型 「第6回日米対抗水上競技大会」メダル
「日米対抗水上競技大会」は戦前から行われていた水泳大会です。
以前、この第一回大会のメダル(日名子実三作)を紹介しました。
終戦後、 1950(昭和25)年にこの競技大会が、第3回日米対抗水上競技大会として再興されます。
そして、1955(昭和30)年には、第4回日米対抗水上競技大会が、1959(昭和34)年には第5回日米対抗水上競技大会が行われました。
このメダルは、1963(昭和38)年に行われた「第6回日米対抗水上競技大会」のものです。
ただし、この齋藤素巌による図柄は、これ以前の大会にも用いられているようです。
それが戦前かどうかは不明です。
彼は昭和49年に84才で亡くなっていることから、 その10年前のこの大会のために、かつての作品の使用の許可をしたのかもしれませんね。
それにしても、このシュールな図柄に用いられてい魚はなんでしょう?
齋藤素巌は、このハゼのような古代魚のような魚を好んでモチーフにしていたようですね。
2014年9月6日土曜日
日名子実三 作「第11回関東大学専門学校選手権競技大会」メダル
久しぶりに日名子実三によるメダルの紹介です。
「第11回関東大学専門学校選手権競技大会」メダルです。
第11回大会は昭和8年に行われました。
また、この図柄は、第10回大会でも使用されているようです。
この円盤投げというモチーフは、古代ローマの作品が残されており、大英博物館の円盤投げ(ディスコボロス)が有名です。
日名子もこれを意識しなかったわけはないでしょう。
競技大会のいくつかある種目から円盤投げを選んだのは、そういった思いもあったからなのでしょうね。
そのためなのか、ギリシャ、ローマの彫刻が見上げる作品であるのと反対に、この日名子の円盤投げが見下げる構図になっています。
その結果、当時の競技会場であった明治神宮外苑競技場において、円盤投げの選手を観客の視点で見るような図になっており、よりリアリティーを感じる構図になっています。
当時の彫刻家が作品を制作する場合、モデルを用いていました。
このメダルを制作した時も、日名子はモデルを用いていたと考えられます。
しかし、このような俯瞰した視点にするために、日名子はどんな方法をとったのでしょうか。
もしかして高座で制作したのか、このデザイン(構図)のために高座からデッサンを行なったのか。
それとも報道写真なんかを参考にしたのか。それとも...
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