2023年1月29日日曜日

皇紀弐千六百年 長谷川塊記作 菅公銅像建設記念メダル


長谷川塊記は、1898(明治31)年鳥取生まれ、朝倉文夫に師事し、東京美術学校彫塑別科卒。官展の他、東台彫塑展や朝倉塾展、塊人社展に作品を出しています。

このメダルは、皇紀弐千六百年、1938(昭和13)年に埼玉県東吾野小学校に建立された、長谷川塊記作菅原道真公銅像の記念品と思われます。
菅原道真公の銅像は現在も東吾野公民館の廟の中に建ってます。

メダルの背面に「塊記」の銘があり、このメダルも長谷川塊記の作品とわかります。
このメダルを見て思うのは、かなり簡易な造形なんですね。
たしかに菅原道真公の銅像もそれほど細部に拘った作にはみえません。
ただ、神の姿を描くということで、ある程度形状に自制があったのかもしれません。
父親が仏師であったことも影響しているのかも。

彼の作品は鳥取県立博物館で観ることができます。
これら作品からも、長谷川塊記は師の朝倉文夫よりも身体を理想的な姿に描くスタイルだったと言えそうです。
それもそういった仏師の出であった事、仏像や神像という身体を理想化した造形の影響があったのでしょう。
戦後の人物彫刻は、人体のリアリティーよりも理想化に進みます。
長谷川塊記はその間の作家であり、そういった理想化に影響を与えたのが、日本の仏像や神像であったと言えるのかも。

2023年1月25日水曜日

「平櫛田中回顧談」本間正義 小平市平櫛田中彫刻美術館編

昨年の9月に発行された「平櫛田中回顧談 聞き手本間正義 小平市平櫛田中彫刻美術館編」です。
美術評論家本間正義が生前の平櫛田中から聞き取った内容を文章にし、小平市平櫛田中彫刻美術館の藤井明氏が編集された本です。
先日、新潟市美術館で購入いたしました。

平櫛田中の口調そのままに、当時の情景が詳細に、生々しく語られていて素晴らしい資料です。
彼の頑固で面倒な性格を、自身でも自覚していたあたりが面白い!

彼の抜群な記憶力で多くの名前が出てくるのですが、それがいちいち良い話。
東京美術学校改革で高村光太郎を推薦するも、三顧の礼を尽くしても断られた話は、以前から興味を持っていたエピソードでもあり興味深い。
ただ、その改革で朝倉文夫や西望が追い出された理由までは語られていませんでしたが。(そこが最も知りたい)

加納鉄哉が若かりし平櫛田中の観音像を70円で買い、それが林忠正のカタログに古物として載っていた話。
美術学校で教えている石井鶴三にたいして、彼を神様扱いしている助教授笹村草家人に困った話。(やっぱりそういう人なのね)
米原雲海、山崎朝雲との関係等々。
昭和天皇が「鏡獅子」の話でお笑いになったというエピソードも良かった。

それとその「鏡獅子」の制作で、途中で興味が薄れ、のびのびとなって20年と自身で語られているところが生々しくて良い。
そういうものですよね。あまり神格化しちゃ駄目ですよね。
彼が量産販売目的で制作したであろう芭蕉像や気楽坊なんかも、他の作品と同等に語っている事に平櫛田中の仕事に対する真摯な姿勢をみます。
あの作品は誰それにいくらで売れただのが臆面なく語られているところに、高村光雲から連なる所謂彫刻師としての平櫛田中の姿が見えてきます。
そんな平櫛田中によって生まれたからこそ、彼の作品は面白い。
それをこの本で確認できたことが一番の収穫でした。

2023年1月23日月曜日

大正3年改正 菊地石膏模型所 「石膏模型目録」



菊地鋳太郎による石膏模型所の「石膏模型目録」は、明治40年改正版が存在するよう。
この大正3年改正版はその10年後の発行となります。




販売カタログですので、各石膏像の価格が記されており、この大正3年版では、像例えば「ミロ島のヴエニユス(ミロのヴィーナス)胸像 原寸大」が「金拾参圓五拾銭」となってます。
これが、他の版ではいくらになっているか、興味深いところです。




他に興味深いのは、菊地鋳太郎作と思われる伊藤博文や東郷像のような日本人を描いたものがいくつもある事。雪見灯篭の石膏像なんていうのもあります。
こういった作品が、このカタログの表紙の中心に添えられている点も興味深い。
また、昭和に入りモチーフとして多く用いられる二宮尊徳、和気清麻呂、武内宿禰がすでにラインアップされている事もそうですね。


次に、手工科や図画の学生用として安価に作られた石膏セットが販売されている事です。
その販売に尽力されたのが東京高等師範学校の岡山先生、新潟県師範学校の西垣先生、東京赤城小学校訓導山本先生と記してあり、戦前の手工教育論者であった岡山秀吉、同じく新潟は西垣維新と思われます。山本先生は不明。
この石膏セットは、明治40年改正版はあるのでしょうかね?
以降の版でも内容に変化があれば、それは石膏での美術教育の発達史の変化だと言う事です。
面白いですね。




あと、私の所有する「百合花ノ像本」も載ってました。
良かった~

最後に、「注意」として粗品を乱造して安く売っている他業者があるようで、気を付けるように書かれています。
大正3年には、そでにそういった業者が出回っていたんですね。
もし、それが現存するなら、それもまた観てみたいです。

2023年1月16日月曜日

土方久功 作 俳優座十周年記念像


私のコレクションしている土方久功作品、3点目。
「俳優座十周年記念」の像です。

築地小劇場の演出家であった土方与志がいとこ甥に当たり、劇場の「葡萄の房」章をデザインするなど、戦前から劇場に関わっていたした土方久功。
1954年、劇団俳優座の創立10周年事業としてこの像は制作され、同年開場した俳優座劇場で記念品として用意された作品と思われます。

多くを南洋の人々をモチーフに制作した土方久功ですが、この像の鋭い目と盛り上がった髭から役者ではないかと推測します。
わかる人が見れば、この役だってわかるのかもしれません。リア王??

2023年1月15日日曜日

写真師井谷豊三撮影 海女石膏像

上野仲町の写真館で撮られた海女の石膏像です。
井谷(T.Itani)とあることから、写真師井谷豊三による作品とわかります。
井谷豊三は明治期の写真師で、写真の形状からもその時期の写真と石膏像だと思われます。

西洋の裸婦像を、当時の風俗の中で表現しようとし海女をモチーフとして選んだのでしょう。
作者は4不明ですが、作風から新海竹太郎にも見えますが、どうでしょう?

2023年1月9日月曜日

今月でコレクション展 終了!

新潟県美術館での「コレクション展Ⅲ 新収蔵品から/彫刻の回廊」が今月で終了。
私のコレクション展も一旦終了です。

ご鑑賞頂きました、皆さま。
ありがとうございました。
次にお見せできる機会についてはか未定です。
それまでに、さらに面白い物を探してコレクションしますね。

新潟市美術館では、同時に「リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと」も今月いっぱい。



この展覧会を観賞しながら、リアル(写実)とは何かについて考えました。
リアル(写実)とは、私にとって「他者」ではないかと思います。
他者論を展開出るほど私の頭は良くないですが、それをビジュアルとして表現すれば、この世界のリアル(写実)ではないかと。
ただし、この展覧会を観て、彫刻と言う他者そのものとしてを世界に立たせ、対峙させるモノと、絵画のようにイメージとして鑑賞者の内側に入り込むモノとの差を感じました。
彫刻と絵画のリアル(写実)の文脈の違いは大きく、またそれがそれぞれの魅力でもあるわけです。
ですので、この展示会場では絵画と彫刻が行ったり来たりと展示され、ちょっと混乱。
また、近代の高橋由一や松本喜三郎、安本亀八、高村光雲と現代の作家とをつなげた結果、その間の作家がごっそり消えてしまっていたのは若干ショック。
まるで、その間の世界のリアル(写実)が無かったかのよう。
できることならば、70~80年代のコンセプチュアルやニューペイント的なモード全盛期に、愚直にリアル(写実)をやって消えていった作家たちを探し出して展示し、歴史化して欲しかったなぁ~

2023年1月2日月曜日

光照法主御除隊記念







光照法主御除隊記念、龍の記念碑です。
作者は銘に「TATU」とありますが、思い当たる彫刻家はありません。

光照法主は、浄土真宗本願寺派第23世宗主、大谷光照。
母親の姉が大正天皇皇后で、昭和天皇の従兄弟にあたる方です。
彼が昭和12年1月に除隊となった記念の品がこの作品であったようです。

wikiには
『青年法主光照は、昭和の戦時下の教団(浄土真宗本願寺派)を指導した。1933年(昭和8年)には声明集の改定に取り組むなどする一方で、1941年(昭和16年)に宗制を改定、従来神祇不拝を旨としていた宗風を放棄し、「王法為本ノ宗風ヲ顕揚ス是レ立教開宗ノ本源ナリ」と宣言。国家神道と結びついた「戦時教学」を推進した。

特に、親鸞の著作に皇室不敬の箇所があるとして該当部分を削除するよう命じたり(聖典削除問題)、門信徒に戦争協力を促す消息(声明)を発して戦時体制を後押しした。戦時中に発布された消息(聖典とされている宗祖親鸞の撰述に準じるとされていた)では、天皇のため命を捧げよと説いている。』
とあります。

戦時日本仏教界の具体的な戦争協力については、こちらに詳しい
https://news.yahoo.co.jp/byline/ukaihidenori/20220720-00304333


思想史的な流れは、かなり難しく、暁烏敏とか考えれば考えるほど沼にはまっていく......


謹賀新年 2023

 賀正

昨年は、あまりこのブログの更新が進めずに反省してます。
書けない理由は、きっと実力不足。
メダル等の近代美術と彫刻家を通して「戦争と信仰」を考えることが、自分のライフワークだと考えているのですが、昨年のウクライナ戦争、安倍元首相銃撃と統一教会問題等々、こういった事を受け止め、自分の言葉にできるほどの力無く。
歴史という過去の言葉で現在を語ることの難しさ、例えば、先の大戦とウクライナやロシアを並べて語ってしまうこと、その薄っぺらさ、浅はかさばかりを考えてしまいます。

このブログでは、作品の紹介をメインとし、私の考えはあまり表に出さないようにしたいと考えてきました。
その結果、書けなかった。書きながら藻掻くことができなかった。
きっと......覚悟ができていないのでしょう。

昨年は、台湾での絵葉書展示、新潟市美術館で現在も行われているコレクションの展示と少しですが進めれたと思います。
その先に進むには覚悟が必要なのかもしれません。
もしかしたら、今後このブログでグチャグチャな事を書きなぐることになるかもしれません。
それは足掻いているのだとご理解ください......

本年も宜しくお願いします。