2022年4月26日火曜日

大正14年3月1日「造幣局事業一覧」冊子

 





明治4年に創業した造形局は、硬貨以外に、徽章や賞牌なども制作します。
そこでは畑正吉等の彫刻家が関わり、原型の制作を行いました。

この冊子は、そういった造幣局の仕事を広く知らしめるために作られたものだと思われます。
大正12年度の収入収支、作業高、仕事の手順、更には造幣局の福利厚生まで示されてます。

その中でメダルに関することでは、まず作業高(大正12年度)。
「記章及賞牌類ノ製造」―129,784円

そして、『「メダル」製造ノ順序』として、
「図案」―「塑像」―「石膏型」―「金属板」―
「縮彫機」―「手入」―「焼硬」―「焼戻」―
「研磨」―「圧縮機」―「焼鈍」―「検査」―
「着色」―「仕上」―「製品」

彫刻家が関わるのは「図案」―「塑像」―「石膏型」くらいでしょうか。
その後の工程も長く、一つのメダルにも多くの職人の手によって製品化されるのですね。

面白いと思ったのが、福利厚生「従業員二対スル施設」で住宅や診療、組合なんかの中に、「教育」があり、義務教育の補修を行う「普通科」と「豫科」そして、機械や化学を教える「専修科」の中に「彫刻部」があることです。
ここでは、貨幣やメダル等の原型を制作するための技術を学んでいたのだと思います。
教師は誰だったのでしょう?
畑正吉も教えていたのでしょうか?
そしてそれは、どんなカリキュラムだったのか。

2022年4月18日月曜日

「宮城県美術館所蔵 絵本原画の世界2022」新潟市美術館

 

新潟市美術館へ行ってきました。
4月09日(土)から5月22日(日)まで「宮城県美術館所蔵 絵本原画の世界2022」展が行われています。
目当ては、彫刻家土方久功の絵本原画です。

土方久功の絵本原画は、「ゆかいなさんぽ」「おおきなかぬー」が展示。
いや、もうただただミーハーなだけかもしれませんが、観れて良かった!
美しい!かわいい!めちゃくちゃ欲しい!
身近に置いて、飾りたい。
あと、「ゆかいなさんぽ」の表紙はあんなふうになっていたんですね~。

さらに、佐藤忠良の絵本原画もありました。
できれば「おおきなかぶ」が観たかった。
「おおきなかぶ」は娘が小さいころ好きでしたね。
娘の小学校の教科書にも載ってました。最近の国語教科書は韓国のような隣国の話を載せてますが、「おおきなかぶ」もロシアの物語として採用されているのかもしれません。

それに、娘の好きだった西巻茅子、なかのひろたかの原画もありました。
私が好きだったのは山本忠敬。「しょうぼうじどうしゃ じぷた」はまだ捨てられない。
「11ぴきのねこ」と「ぐりとぐら」は登場人物の性格悪くて苦手。

話を彫刻家に戻して。
絵本だけでなく、挿絵等々のグラフィックアートに多くの彫刻家が関わってます。
作品だけでなかなか食えない彫刻家にとって、これらは大切な収入源だったのかなと思います。
土方久功や佐藤忠良だけでなく、戸張孤雁、石井鶴三、清水三重三、河村目呂二、梁川剛一等々。
メダルや銅像もグラフィックアートの一部とも言えますし、高村光雲のはりぼて仏像や石井鶴三がおもちゃの原型つくったりと、そういう作品と、彫刻作品とを並べて展示できると面白いかもしれませんね。

2022年4月17日日曜日

社会大衆党 第五回大会記念 メダル


社会大衆党とは、1932年に全国労農大衆党と社会民衆党が合同して結成された無産政党です。
安部磯雄が委員長,麻生久が書記長の下、「資本主義の打破」「無産階級の解放」などを掲げ活動しますが、次第に軍に接近、日中戦争が起ると「聖戦協力」を唱え、翼賛体制へと邁進していきます。
このメダルは、そんな社会大衆党の第五回大会を記念したメダルです。

旗と星と鎖とマッスルな労働者。
ザ・プロレタリアデザインという感じですね!
大好きです。
労働者のモチーフに鎌を持った農民が描かれているのが日本的で良いですね。
サインの無いのもそれらしい。
社会大衆党と言う第三極にまでなった政党で、このような微妙に洗練されていないデザインなのも好感度高いです。

とはいえ、同時期に政党政治の外側にあった蔵原惟人らのナップやらコップやらは、弾圧されていきます。
それら弾圧された側の美術家たちは、このメダルのデザインをどう見たのでしょう?

2022年4月12日火曜日

畑正吉? 作 金光教メダル

今回はいつものようにメダルのお話し。
金光教に関わるメダルです。
作者はサインから畑正吉ではないかと考えています。
もし、違うようでしたら、ご教示ください!



以前「宗教者の肖像と彫刻家」でも畑正吉による金光教教祖白神新一郎の像が描かれたメダルを紹介しました。
そして、このメダルです。像に名前はありませんが、姿から金光教難波教会初代教会長の近藤藤守だと思います。
http://www.ko-ougimachi.com/rekishi-3/2-oosaka.html
メダルの裏面の詩文が読めればもっとはっきりすると思うのですが、すいません。読めませんでした......

近藤藤守という人物は、大正5年頃に亡くなった様です。
とすると、このメダルのために実際にモデルを行った可能性があります。
もし、このメダルの作者が畑正吉であれば、先の白神新一郎像が、伝聞によって形作られたのとは違い、彼が近藤藤守に会って目にして制作したものと言えるでしょう。
筆記体での「HATA」の表記も大正時代に畑正吉が用いていたサインですし、この頃の作品なのだと考えます。

2022年4月4日月曜日

戦時下での言葉の彫刻

戦時下と題したブログなのに、実際の戦時下になると言葉が出てきません。
情けないですが、無理に言葉をつくることもないとも思います。

それにしても、これだけ言葉が世界中を駆け巡り、それを目にできる戦争というのは、今まで無かったのではないでしょうか。
当事者同士や各国の首脳だけでなく、SNSを介したウクライナの兵士や市民の言葉、それらを目にした国の異なる人々の言葉。
これら言葉の紡ぎ、形造り、構成されていく様子は、まさに(ネガティブな意味を込めて)社会彫刻と呼ばれるものではないかと思います。
「すべての人間は芸術家である」時代なのですね。
(たとえそれが、ロシアよりの言葉であったとしても)

そんな言葉のいくつかを並べてみます。






大東亜戦争時の日本では、新聞と手紙によって言葉が伝えられました。
新聞は国側の正義を垂れ流し、手紙は検閲もあって自由に発することはできなかったでしょう。
それでも、言葉を、ユーモアを含め発しないではいられず、そしてそれら形造り、構成され世界を作っていったと思います。
その言葉を忘れないよう、失わないように伝えていきたいです。