明治4年に創業した造形局は、硬貨以外に、徽章や賞牌なども制作します。
そこでは畑正吉等の彫刻家が関わり、原型の制作を行いました。
この冊子は、そういった造幣局の仕事を広く知らしめるために作られたものだと思われます。
大正12年度の収入収支、作業高、仕事の手順、更には造幣局の福利厚生まで示されてます。
その中でメダルに関することでは、まず作業高(大正12年度)。
「記章及賞牌類ノ製造」―129,784円
そして、『「メダル」製造ノ順序』として、
「図案」―「塑像」―「石膏型」―「金属板」―
「縮彫機」―「手入」―「焼硬」―「焼戻」―
「研磨」―「圧縮機」―「焼鈍」―「検査」―
「着色」―「仕上」―「製品」
彫刻家が関わるのは「図案」―「塑像」―「石膏型」くらいでしょうか。
その後の工程も長く、一つのメダルにも多くの職人の手によって製品化されるのですね。
面白いと思ったのが、福利厚生「従業員二対スル施設」で住宅や診療、組合なんかの中に、「教育」があり、義務教育の補修を行う「普通科」と「豫科」そして、機械や化学を教える「専修科」の中に「彫刻部」があることです。
ここでは、貨幣やメダル等の原型を制作するための技術を学んでいたのだと思います。
教師は誰だったのでしょう?
畑正吉も教えていたのでしょうか?
そしてそれは、どんなカリキュラムだったのか。