天皇制とアートについて考える機会があったので、少しここに書いてみようと思います。
戦前の美術史を語る場合、その対象は絵画を中心としたものになります。
例えば所謂ファシズム美術では、戦争画が中心にあり、プロレタリア美術もまた、マヴォのような複合美術も一部にはあるせよ同様です。
「彫刻」をして美術史の中心に語られる事はありません。
そのため、戦前の「天皇制」と美術という題で話がされる場合も、その対象は絵画になります。
ですが、「彫刻」は絵画とは異なる歴史を背負っている…というよりも、作家数も少なく、関わる人間の数も限定される「彫刻」の方がより純化した日本の美術史の姿を見せているのではないか、私はそう考えています。
私は、萩原守衛を代表とする日本近代彫刻史の強い恣意性に疑問を感じています。
「天皇制」を軸に「彫刻」を語ることは、『純化した日本の美術史の姿』を示す材料になるはずです。
では、歴史のおさらいです。
明治維新によって西欧諸国と対等となるための、日本は憲法と資本主義を導入します。
伊藤博文らは憲法と資本主義の根にキリスト教があると学びます。
近代化には前近代的なキリスト教をベースとした思想社会が必要です。日本はキリスト教に代わり、前近代的な「天皇」への信仰をベースとした思想社会によって近代化を行います。
『「天皇」への信仰をベースとした思想社会』がどんなものであったのか、それをわかりやすく示すエピソードが高村光雲の「矮鶏」と「楠木正成像」にあります。
「矮鶏」は光雲が37歳のころの作。この作品が明治天皇(聖上)の目に留まり、宮内省お買い上げとなります。光雲のこの作は伝統的な木彫と西洋的な観察を組み合わせた当世のコンテンポラリーアートでした。
洋装に切り替えた明治天皇は、コンテンポラリーアートをも購入するのです。
次に「楠木正成像」ですが、こちらも天皇へ献納されており、展覧の様子を高村光太郎が記しています。光雲の名誉への興奮が伝わる文書で、高太郎もまたその心を継ぎ、後の戦争詩が生まれます。
明治以前に『「天皇」への信仰をベースとした思想社会』がどれだけ広まっていたのか、朱子学の影響が武士階級以外にどれほど影響を与えていたのか、議論あるところと思いますが、光雲の時代においては、『「天皇」への信仰をベースとした思想社会』がある程度には広まっていたとわかります。
『「天皇」への信仰をベースとした思想社会』によって生まれたのは法だけではありません。このように当時の人々の言葉や生活様式を変革し、人の心まで変えました。
なにより光雲は彫刻家です。彼の意識、美意識をも生み出したと言え、その美意識は息子の光太郎も継いでいます。
そう、私たちの美意識は、『「天皇」への信仰をベース』としています。もちろん、光雲が仏像彫刻を学んだように江戸時代から地続きの美意識ももちろんあるでしょう。しかし、これを抑えておく必要があります。
次にその美意識に絡めとられた時代についてです。
『「天皇」への信仰をベースとした思想社会』を生んだ伊藤博文らにとって、この信仰はネタ、つまり虚構だという意識はあったでしょう。それが昭和初期の天皇機関説事件のころにはベタに信仰する人々が影響力を持つようになります。
「八紘一宇」または天皇を中心とした世界統一を本気で考える人があり、それを支える人がいました。その中で彫刻はファシズム美術、戦争彫刻へと進んでいきます。
戦争画は戦時のプロパガンダとして用いられ、国内に運ばれ多くの動員を呼ぶ展覧会が開かれます。持ち運びが容易ではない彫刻は写真パネルの展示がなされるくらいしかありません。そこで彫刻家が行ったのは、一つは現地へ行って彫刻を作ることでした。
造営彫塑人会や軍需生産美術推進隊などの作家の合同制作によるモニュメントが造られます。この一つの作品を合同で作るという個人主義的を超克しようとする思想は、プロレタリア美術へと受け継がれ、戦後へ影響を与えます。
もう一つ、彫刻家が行った仕事は、市井の中で彫刻を生かす事でした。
関東大震災後の廃墟が立ち並ぶ中でバラック装飾社の若者たちはバラックにペイントし、アートの社会化を目指します。
それに参加した日名子実三らは彫刻団体「構造社」を立ち上げ「彫刻の実際化」を標榜し、メダルや雑貨等へ彫刻技術を用いり、作品として仕上げようと試みます。
そこでは、大量生産の肯定があり、後のポップアートにみられるモチーフの反復などが見られます。
これら彫刻家の仕事は、当時の空気の中で行われた戦争プロパガンダです。
しかし、現在につながる豊かな美の歴史でもあります。
戦争画が、その一時期の歴史の迷いのように語られることがありますが、彫刻を含め全体を見れば、やはり私たちの歴史とのつながりを理解することができます。
ただ漫画やアニメ、デザインなどに比べればこの地続きの美術の歴史の検証はなされていないのではと思います。
欧米のコンテンポラリーアートが結局キリスト教から抜け出せない、または抜け出す必要を感じていないローカルなものであるように、日本の美術もまた天皇制から抜け出せない、または抜け出す必要を感じていないローカルなものです。
しかも、私たちの美意識が天皇制によって生まれたのにも関わらず、まるでそこから自立できたかのように振舞っている現代の日本の美術。その結果が今なのだと思います。
もしかしたら、光雲の作品が宮内省に買われたように、日本のコンテンポラリーアートが買われる状況が生まれてやっと、私たちの歴史が地続きになり、そこからの自立の道もできるのかもしれません。
というわけで、陛下には村上隆の彫刻を買ってもらいたいのです。
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