彫刻家菊池一雄による高村光太郎論、直筆原稿です。
『彫刻の伝統の中に生まれた宿命的な著者(※高村光太郎)にとっては、日常生活もそしてその詩も、すべてが彫刻の世界である。』
『高村氏はまことに寡作の彫刻家である。或は人の目にふれる彫刻作品は、その詩よりも少ないかもしれない。しかし、それは彫刻に対する情熱の不足を示すものではない。むしろあり余る情熱に彫刻が溺れるのを怖れるのであり、その詩は彫刻を病熱から護る役目を背負っている。』
彫刻家による高村光太郎論によくある、高村光太郎って凄いんだぜ!論ですね~
高村光太郎の文章に薫陶を受けた彫刻家って皆、こういった語りの印象を受けません?
具体的に光太郎の重要性や個々の作品を語るのではなく、俺が凄いと思っているからそうなんだって文章。
この原稿では文字数少ないし、しかたがないのかもしれませんけどね。
(ちなみに世にある岡本太郎論も同じ印象)
高村光太郎の最後の作、十和田湖の「乙女の像」には、その建設委員に土方定一や草野心平の他、菊地一雄も加わっています。
彼らの推薦と協力が合って、あの腰の重い光太郎による「乙女の像」が1953(昭和28)年に建立されます。
この像は、向かい合う2体の裸婦像です。
また、菊池一雄の代表作に、1951(昭和26)年に日本電報通信社創立50周年記念事業碑として東京都千代田区隼町の三宅坂小公園内に設置された「平和の群像」があります。
「愛情」「理性」「意欲」をテーマとして原型を制作した3体の裸婦像です。
それぞれ2体と3体の裸婦群像。
年代としては、「平和の群像」が早いのですが、意識し合うことはなかったのかな?
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