彼は当時、東京美術学校の教授で、この直土會でも多くの後進を導いていたそうです。
しかし、その2年後、1942(昭和17)年に建畠大夢は亡くなります。
この直土會第一回展覧会では、「睦奥宗光」の他、建畠大夢による「井原氏の体」「井原氏の顔」が展示されます。
直土會の実像って、この当時のいくつかの会派と同様、よくわからないところが多くて、こういった絵葉書は貴重ですね~。
さて、この像は、よく見る陸奥宗光の横顔をモデルにされたと思われます。
それほど大きな作品ではないようです。
髭がきっちり鬢付けで固められていますね。
バッファローの角の様な口髭、それと顎鬚なんか、こうはならんだろって形で整えられています。
理想化なんでしょうか?
睦奥宗光は明治30年に亡くなっていますから、建畠大夢の人生と重なる部分はあったでしょう。
ただ、この大事な第一回展覧会で、彼の像を造ったと言うのは何か意味があるように感じますね。
1937(昭和12)には国会議事堂に朝倉文夫作「大隈重信」像、北村西望作「板垣退助」像、建畠大夢作「伊藤博文」像が設置されます。
http://prewar-sculptors.blogspot.com/2013/03/blog-post_9.html
そこで抜けた英雄「睦奥宗光」を造ったのでしょうか?
陸奥宗光って、私にとっては漫画『お〜い!竜馬』の才気あふれる若者ってのイメージなんです。
第一回展覧会という最初の展覧会で、明治を生みだした英雄の像、その中でも先走る才能と変革を生みだした「睦奥宗光」を選んだのかも。
この時代、彼はどんなイメージを与えられていたのでしょうね。
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