清水三重三作の庭園噴泉「女と小鳥」は、その会場の中心に設置されていたと思われます。
庭園噴泉の周りに植木が配置し、実際の野外展示のイメージさせています。
「彫刻の実際化」を目指す構造社は、当時の官展での作品郡の様な人物像の乱立ではなく、こういった社会の中で使用される作品をメインで展示がなされたんですね。
「彫刻の実際化」を目指す構造社は、当時の官展での作品郡の様な人物像の乱立ではなく、こういった社会の中で使用される作品をメインで展示がなされたんですね。
現在、清水三重三作の銅像「平和の女神像」が四日市市の市民公園に設置されています。
1952年に開催された「四日市博覧会」の会場正面に設置された石膏のこの像は、後に鋳造され、現在の場所に移設されます。
四日市空襲への祈りが込められたこの像は、平和のハトを模して両手を広げているそうです。
四日市空襲への祈りが込められたこの像は、平和のハトを模して両手を広げているそうです。
「女と小鳥」で片手に小鳥を乗せた少女が、戦後は自身が鳥になったようですね。
また、展示会場の奥には、6体の武神像の様なものが見えます。
日名子実三の「丘に立つ忠魂碑」と思われるこの像は、「八紘之基柱」に用いられた四神像のエスキースでしょうか?
像の背面には垂直に伸びた壁があります。
壁面の前面に並ぶ複数の像というのは、舟越保武の「長崎26殉教者記念像」を思い出します。
彼ら戦後の彫刻家のモニュメントも、戦前の構造社ら戦前の作家の影響を受けているのでしょう。
ただ、日名子の事ですから、こうした造形のモニュメントも、もしかしたら元ネタあるのかもしれませんが。
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