太田南海は、1888(明治21)年、松本市中町生まれ。
米原雲海に入門し、「善光寺仁王像」などの制作に雲海の工房の主力として腕をふるいます。独立後は、地元松本を拠点に文展・帝展などへの出品を続けました。
絵葉書は太田南海の木彫で「唄」です。
飛鳥時代風の衣装で肩を組んで詠う女性像ですが、当時の女性がこのように声を張り上げ歌っていたのかどうかはちょっと疑問。
また、「茴香社第一回展覧会出品」とあり、色々調べてみましたがこの「茴香社」がどういった団体だったのかまったくわかりません。
茴香とはウイキョウという漢方などで用いられる植物です。
太田南海の出身地である長野県もその産地であり、「茴香社」はそういった意味を持つ団体であったのかもしれません。
もしかしたら同郷作家による展覧会か、または長野県で行われた展覧会なのかも。
上の絵葉書は、『第五回信濃美術協会展覧会出品 丸山節作「消え行く幻」』です。
「信濃美術協会」は、信州出身者による親睦団体だったようです。
信州(長野県)出身者の彫刻家は多く、荻原守衛、清水多嘉示、中村直人、そして川村吾蔵もそうですね。
また、信州の人々に農民美術を教えた石井鶴三や木村五郎などの彫刻家もいます。
長野の地は、多くの彫刻家を輩出し、また東京とは別の彫刻世界を作り出した地であったと思います。
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