2023年6月5日月曜日

大正6年 畑正吉 作「第三回極東選手権競技大会」メダル 





極東選手権競技大会は、米領フィリピン、中華民国、当時の日本を主な参加国として、1934(昭和9)年まで10回開催された競技大会です。
こうした国々が欧米に対抗するための文化政策として、このような競技会を必要とします。
当時のフィリピンは、アメリカの影響下にあり、スポーツ先進国でした。
後進国であった他国は、その技術を得るためという目的もあったのでしょう。

行われた競技は、陸上に競泳、野球、テニス、サッカー、バスケットボール、バレーボール、そして自転車やボクシングと今でも人気あるものです。
こうした戦前からの蓄積が、今の日本及びアジアのスポーツの礎となっているのですね。

1917(大正6)年に開催された第3回大会は、初の日本開催であり、何より初の国際的スポーツ競技大会でした。
会場は東京市芝区芝浦の埋め立て地。
日本スポーツ界の意気込みは凄まじかったでしょうね。
この大会で、日本は総合優勝を果たします。

そんな理由もあり、メダルの制作も第一人者である畑正吉に依頼されたのでしょう。
薄彫りですが、とても美しいメダルです。
ペアになっており、一つは鳳凰を抱え、翼の生えた観音(?)像。
片方は、その観音に見守られた5人の走者の姿です。
メダルに観音像が描かれるのは、西洋のメダルに描かれた女神像に担ったものではないかとご指摘頂いたことがあります。
畑正吉は、そういった伝統と日本の信仰とを重ね、「翼のある観音」を生みだしたのかもしれません。
その結果、仏教でもキリスト教でも、儒教でもない、どこにも属さないアジアの女神像を描くことを可能としました。
これも一つの「近代仏教臭彫刻」と言えるのかもしれません。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
ただ、この「鳳凰を抱えた」というイメージがどこからきたのか、私にはわかりません。
何でしょうか?

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