2020年4月11日土曜日

畑正吉 原型 早稲田大学創立三十周年記念 メダル



畑正吉の原型による「大正二年十月二十日早稲田大学創立三十周年記念」メダルです。
早稲田大学は1913(大正2)年に創立30周年記念式典を行い、「早稲田大学教旨」を宣言、校旗、式服・式帽制定します。
https://www.waseda.jp/top/about/work/mission

メダルに描かれているのは大隈重信。
早稲田大学の創立者ですね。

畑正吉による大隈重信像のメダルが制作されたのは、これが初めてではありません。
実は、明治45年(大正元年)に早稲田大学記念メダルとして制作されています。
この時の大隈重信像が、上記の「創立三十周年記念」メダルに使用されたのだと思われます。
畑正吉にとって、この仕事がメダル作家としての最初の躍進となりました。
以前紹介しました畑文夫編集「彫刻と工芸の七十年 畑正吉」では、畑正吉自身がこのように書いています。
右メダル(※慶應義塾大学図書開館記念メダル)を見た早稲田の市嶋謙吉氏の依属により数千個作り余のメダル的存在を知らるゝに至ったと思う。之に力を得努力するに至り、後正木先生の推薦により造幣局技術顧問。大正博賞牌等
市嶋(島)謙吉は政治家で早稲田大学の初代図書館長であり、文化事業家としての顔も持っています。
正木先生とは1901(明治34)年から1932(昭和7)年まで東京美術学校の第五代校長を務めた正木直彦でしょう。
畑も同じく1901年から東京美術学校に入学しています。
正木直彦の推薦と、モデルとなった大老大隈重信の後押しもあったでしょう、この作品によって畑正吉は30歳の若さで造幣局顧問になるわけですね。

一つ気になるのは、1907(明治40)年に朝倉文夫が大隈重信の像を制作しているのですね。そして早稲田の創立五十周年にも全身像を制作しています。
何故朝倉文夫は明治45年の早稲田大学記念メダルを制作しなかったのか?
畑正吉は何故大隈重信の全身像を制作しなかったのか?
「わたし、気になります!」

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