1921(大正10)年に行われた 「未来派第二回美術展覧会」の絵葉書です。
上記の二枚は、その年に来日し、名古屋にて木下秀(一郎)と未来派の講演会を行ったロシア未来派の画家ダヴィド・ブルリュークの作品と、その木下秀(一郎)の作品。
未来派という、当時の最先端の思想でありながら、それがジャポニズム的なのが面白いですね。
特に木下の作品からは、この思想を日本人として自らに取り込もうとする意気込みを感じます。
尾形亀之助の「朝の色感」
尾形は後に前衛美術団体マヴォにも参加する詩人。
絵画も作成しており、この作品も木下秀(一郎)に誘われ出品したらしい。
とにかく日本の「未来派」は評判が悪い。
その理由は、当時情報の少ない中で、作家たちがよくわからずに制作を行っていたことによります。
簡単に言えば、「未来派ってなんだか先端ぽくてカッコイイな!」というノリで、黒人ファッションが似合いもしないのに ダブダブな服を着てキャップを斜めに被って「悪い奴はダイタイトモダチ」みたいに粋がっているめんどくさい若者たちの作品でしかないと思われているからです。
だけど、そういうめんどくさい若者の一人だった私からしたら、愛しい作品だななんて思うわけで、その後のある程度評価のあるマヴォやアクションなんかより興味を持っているわけです。
だからといって、こういう作品を紹介して啓蒙しようというつもりもありません。
最近、椹木野衣著「アウトサイダー・アート入門」を読んだのだけど、どうしてこの世代は啓蒙的なんだろう、特にローカルチャー の評価みたいなことを、その消費者が望んでもいないのに行いたがるのだろう。
「アウトサイダー・アート」も「後美術」も、そう名づけ評価を行う政治性がすでに時代に合わない気がします。美術のフロンティアなんて今時言えるのは凄いけど。
同時に佐谷眞木人著「民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造」を読んで、自身の政治性に敏感だった柳田國男であれば、そんな啓蒙主義の終焉、彼の「民俗学」という言葉の役割の終焉にも敏感であったのかもしれないと思いました。
まぁ、私にしても美術のフロンティアなんて、過去の作家の夢の中にしかないなんて思っているからこんなブログをやってるわけで、そんな終わった夢から覚めないのは同じなのですけどね。
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