昭和6年に描かれた牧雅雄による軍鶏の図です。
牧雅雄は日本美術院の彫刻家で、昭和10年に48歳で亡くなっています。
昭和10年は、堀江尚志や藤川勇造、木村五郎、陽咸二、そして橋本平八と近代彫刻史に名を残す作家たちが若くして亡くなった年です。
手元に昭和11年のアトリエ第十三巻、第二号があるのですが、ここにその前年に亡くなった牧雅雄と橋本平八の追悼文が載っています。
筆者は 石井鶴三に喜多武四郎、福田正夫、新海竹蔵です。
牧雅雄は、はじめ彫塑を行っていましたが、後に木彫を始めます。
この石井鶴三の追悼文にこうあります。
「いつのまにどうして木彫の技法を覚えたのか。まだ其技法には未熟なところがあったが、牧君のような人が木彫をやるのならば、将来は必ず面白いものがあろうと楽しみにしていたのだが。」
この軍鶏図も、木彫制作と同時期のものだろうと思います。
たしかにめちゃくちゃ上手いとは言えない画ではありますね。
同郷の詩人福田正夫は追悼文に詩を寄せています。
「牧の道は一つしかなかったようだ。どこまでも、恐らく永久に未完成の道-彼は完全ではなくて、途上の人だ」
現代では、橋本平八の名前を知っている人はいるでしょうけど、牧雅雄を知っているという人は少ないでしょう。
彼は日本の彫刻史に深く名を刻むこともできませんでした。
途上の人がその旅を終えてしまえば、後は忘れ去られるだけですね。
でも、こうやって誰かが時々思い出せば、縁(えにし)は続き繋がると思うのですよね。
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