以前、藤井浩祐について当時の作家陣の中では保守的に感じると書きましたが、今回、彼の作品をまとめて見ることができ、若干違う印象を持ちました。
それは、「私の方が彼の作品をスタンダードだと見ている。」ということでした。
この時代の彫刻家の仕事とは、西洋からの輸入された彫塑という文化をどう日本に根付かせるかという全く新しい取組みです。
であるならば、当時において彫塑のスタンダードなどないはずなのに、私は彼の作品をそう見てしまう。
それは、現在、つまり後世からの視点からそう見えるのでしょう。
つまり、 日本彫塑史において、藤井浩祐の作品は常にその中心、王道であったのだと言うことなのだと気づきました。
朝倉文夫や北村西望のようなはみ出す個性を求めず、新海竹太郎らの「浮世彫刻」などを試みながらも、ただまっすぐ、現在から眺められる日本彫塑史の真ん中を「彫刻」とは何かを求めながら走ってきた作家なのではないか、そう考え直しました。
いや、それにしても見ごたえのある展覧会でした。
一日中居られそうでしたね。
ちょっとした興味から探索し始めた日本近代彫刻でしたが、実際この時代の作品が心底好きになっていたのだと確認させられました。
次は、東京の小平市平櫛田中彫刻美術へ巡回するそうです。
それと、この市原町も素敵な場所でした。
JRから井原鉄道に乗り込み、神話の時代の名前のような駅をいくつか越えたところにありまして、山と水と、水辺の植物、そして水鳥が多く見られる場所でした。
地元岐阜の切り立った崖を流れる川のとはちょっと違う生態系に感じましたね。
そんなゆったりとした気分のまま、大阪へ。
げっ、いまだに歩きタバコの人がいるんだね大阪。
気を取り直して今回の目的は「天神さんの古本まつり」。
台風のために一日短縮された古書まつりでしたが、そのためにまだまだ大量の百均本がどっさりありました。ヤッター。
その山の中から森口多里著「近代美術十二講」(大正13年11版)。
ダダや未来派など新興美術を紹介する本で、ブランクーシやザッキン、アーキペンコについても書かれています。
この本は既に持っているのだけど、読み返してみたら独逸表現主義の芸術家としてデゴバルト・ペッシュが紹介されてましたね。以前この作家について書いた時は思い出せなかった。
それと、何故か昭和30年の大阪市立汎愛高等学校の文化祭プログラムが挟まっていました。
後、 「近代美術十二講」にも言及されていた映画「カリガリ博士」について同じく言及していた美術手帳(1980年)の「回想の20年代」。プロレタリア美術について書かれています。
その一味の神原泰著「ピカソ」(大正14年)、その流れを組んでるのかどうか知りませんが吉本隆明著「高村光太郎」(昭和48年)とあと何冊か...
「カリガリ博士」もYouTubeで観れるんだね、凄い時代だね。
それと、この古書市と古本屋を廻って絵葉書を漁る。
○米原雲海 「松風」 (文部省第九回美術展)
○齋藤素巌 「日は昇る」 (紀元二千六百年奉祝美術展)
○日名子実三 「踊」 (第五回帝国美術院展覧会)
○水谷鉄也 「秀作」 「国際美術協会第二回内国美術展覧会」
水谷鉄也は、「大阪府立中之島図書館 大正11年増築記念のメダル 」でご指摘いただいた作家ですね。高村光太郎と同期のようです。
他にも面白いモノを探し出しましたが、それはおいおい...
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