富田芳和著「なぜ日本はフジタを捨てたのか?―藤田嗣治とフランク・シャーマン1945~1949」
を読む。
第二回大東亜戦争美術展覧会出品 『○○部隊の死闘』
「藤田嗣治がわかれば絵画がわかる」は、藤田嗣治を『黒の画家』として、布施英利さんの目から見た藤田像が語られています。
そういわれて初めて、藤田が「黒」を用いる画家なのだと気づかされました。
背景にせよ、輪郭線にせよ、藤田は確かに「黒」を多用します。
しかし、その黒が他を邪魔せず、主張しない。その「黒」の軽さが藤田の絵の魔力の秘密なのかも知れません。
画像は第六回文部省美術展覧会出品 『嵐」
第六回文部は、1912(大正元)年。渡仏前の作品ですね。
これも「黒」の絵ですが、この頃は、まだ「黒」が主張しています。
若き藤田の、反黒田の気概が前面に出た頃の作品なのでしょう。
藤田が最後に描いた礼拝堂のフレスコ画に「黒」が多用されていないことから、著者は藤田の心象の変化、彼が最後にたどり着いた心を読み取ります。
ただ、西洋のフレスコ画の黒のありかたについて詳しくないので、本当に藤田が「黒」を避けたのかは、この本の内容だけではなんとも言えませんでした。
次に富田芳和著「なぜ日本はフジタを捨てたのか?―藤田嗣治とフランク・シャーマン1945~1949」ですが、こちらは終戦前後から渡仏までの藤田を、フランク・シャーマンの資料から読みとられた藤田を描いたノンフィクションです。
この本にも書いてある昭和19年の芸大教授の交代劇については、前から興味があって調べているのですけど、著者の言う戦争画と交代劇との関わりは微妙だと思っています。大観が裏で糸を引き、辞退したとは言え高村光太郎を迎えられようとしたことからも、戦争協力していたかが影響したとは思えません。
とは言え、この本の魅力は、日本人ではないが日本を愛し、日本の文化に尽くしたフランク・シャーマンという人物から見た藤田嗣治という新しい視点を描いたところにあると思います。
シャーマンの見た藤田が、実際の藤田を代弁しているとは思いませんが、同時代に生き、藤田に付き添ったシャーマンの視点は、昨今の多くの藤田論の中でも、特別なものに感じます。
また、藤田がGHQの為に描いたという十二単のマリア像を版画にしたクリスマスカードは、布施英利著さんが著書で書かれていた藤田の宗教画の一つなのでしょう。けれど、他の宗教画の作品と違い、何か決定的な作品であったのではと思われてなりません。
是非見てみたいですね~
藤田嗣治の作品を理解するのは、日本の美とは何か、それが西洋と出会いどう変わって行ったのかを理解しなければならないと考えています。
例えば最近、江戸の絵画を「奇想」として語られていますが、この系譜に藤田の作品は繋がっているといえるかも知れません。
しかし、それもまた、藤田作品を語る一つの視点でしかありません。
私は、藤田嗣治の作品に寄り添って、この問題をずっと考えて生きたいと思っています。
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