1904(明治37)年に建てられたこの像は、 彫刻家竹内久一によって原型が制作されました、日本の銅像としては初期の作品です。
その為、西郷像や楠木正成像のように木彫で原型が制作されています。
Wikiより『「日蓮聖人銅像」は、福岡県の日蓮宗徒の運動により発案され、明治25年(1892年)、東京美術学校に雛形の制作依頼が来る。翌年の4月、久一が50分の一の木彫雛形の制作に着手し、8月に雛形の銅像が完成。明治27年(1894年)2月、正式な契約が結ばれ、5月に木型の担当者に任命される。木型の制作は、校内で明治28年(1895年)1月に開始され、木曽の山中から檜を取り寄せ、翌年の6月に完成した。』
実際の銅像に似せたとは言えない、伝統的な描かれ方がなされているのは、『実際のものをリアリズムで描く」ことが共通認識としてなされていない当時の作品だからでしょうか。
この、目の前にあるというリアリズムより、伝統的な描き方を優先するという考えは、現在の私たちからすれば違和感があり、興味をひきます。
楠木正成像制作に当り図案が東京美術学校内で公募されたのですが、こういった描き方がなされていたのでしょうか?
そしてこれが、実際の日蓮像です。
この建立の後、日蓮は血盟団事件や満州事変等々の思想の柱となって行きます。その先駆けとなったのがこの銅像でした。
ただし、立像ではありますが、左手に法華経を持つ伝統的な姿です。
1902(明治35)年に制作された高村光太郎の「獅子吼 (ししく)」や戦時に作られた日名子の日蓮像と比べれば、この掛軸の絵の様に、大きくなった仏像といった印象を受けます。
というよりも、明治から昭和初期にかけて、日蓮のイメージが竹内久一を超えていってしまったというのが正しいのでしょう。
日名子の日蓮像
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