2015年5月1日金曜日

Intermission 「若林奮 飛葉と振動」展 所感

現在、名古屋市美術館で行われています 「若林奮 飛葉と振動」展に行ってきました。

http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2015/wakabayashi/

名古屋市美術館は、荒川修作みたいな詩的で哲学風味の作家が好きですね。

この作家の作品を始めて拝見したのは何年前だろう?
その時感じたことを、今回こうやってまとめて作品を見ても変わらず、同じように感じました。
それを言葉にするとしたら、この作家はお化け煙突を目印に遊ぶ両津勘吉なんだろうなってことです。
これではわかりづらいと思うので、もう一つ例えるとしたら、諸星大二郎の名作「僕とフリオと校庭で 」の世界観に彼の作品はあると思うのですよ。

子供、夕焼け、煙突、工場、隠れ家、UFO、SF、自分を見下ろすモノ...

彼の作品は、工場を遊び場にしていた子供、僕自身がそうであったのですが、その世界を思い出させるんです。
かといって、つげ義春のこれも名作「大場電気鍍金工業所」のようにリアリズムがあるわけでもなく、社会性があるわけでもない。
そこが詩的な所以でしょうね。

哲学や美術が社会と乖離し、純粋にただそれだけの存在となってしまったかのように、子供の毎日がいつも新しくあるように、若林奮の作品は浮世を離れ、ただ在るというモノなのだろうと思います。

彼の作品は、神の目線というか世界を俯瞰で見ています。
人を外から見ている。
ランドスケープ的というか、建築的というか、そういった視線で作品が成っていると思います。
その視線の在り方が浮世離れした印象を与えるのですが、唯一その視線が地に着く時があるようです。
それは彼がモチーフに犬を使う時で、それはまるで「僕とフリオと校庭で 」のラストシーンのように、もう戻らない子供時代を振り返るような懐かしさを感じさせます。

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