これもちょっと変わった資料で、加納鉄哉の領収書です。
加納鉄哉は岐阜県出身の彫刻家で、高村光雲が教える前の東京美術学校で、ほんとに少しの間だけですが教鞭をとっていた人物です。
辞めた理由はよくわかりませんが、かなり癖のある人物であったらしく、それが影響したのかもしれません。
もしかしたら、光雲もなかなか慣れなかったという、岡倉天心指示による東京美術学校の制服に不満があったのかもしれませんね。
そんな人物ですから金銭面でもけっこう問題を抱えていたんじゃないかなんて思ってしまいますが、こうやって領収書を出すくらいは社会性があったようですね。
まぁ、これは代理人が書いたもののようですが。
こういった文を読む技術が未熟なので、間違っていたら指摘していただきたいのですが、
木彫に百二十円、箱に二円、合計百二十二円を受取ったという証文ですね。
明治期の1円は現在の1~2万くらいの価値だったと言うので、百二十二円とは、多く見て240万くらいでしょうか。
そんな木彫ってなんだろう??
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